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東善寺阿弥陀如来立像特別講演会のお知らせ [お知らせ]

 熊谷市代に所在する東善寺の木造阿弥陀如来立像は、針葉樹の一木造で、玉眼(水晶をはめ込んだ眼)、漆箔(漆で金箔を貼る)の仏像です。伝来の経緯は不明ですが、その作風や洗練された技法から快慶もしくは快慶周辺の仏師による制作と考えられ、制作時期は13世紀前半と推定されています。
 埼玉県における13世紀前半の仏像のうち、製作優秀で文化史上貴重なものであることが評価され、令和6年3月、埼玉県指定文化財となりました。
 この指定を記念して、令和6年7月2日㈫に、熊谷市立図書館にて講演会を開催いたします。
 詳しくは、こちら(熊谷市立図書館ホームページ)をご覧ください。
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万吉西浦遺跡発掘調査3 [発掘調査]

発掘調査区域内で、数か所噴砂・墳礫の痕跡が確認されています。
写真は噴砂の後で、長さ1m程の不整楕円形に地割れが確認され、砂と小礫が噴出しています。次の写真が噴砂を建ち割った状態です。断面を見ると、確認面から50㎝程下層に砂の層があり、そこから砂が噴出している状態がわかります。
いつの時期の地震によるものかは不明ですが、縄文時代中期の遺構を切っていることから、それ以降のもので、かなり大きな地震であったことが推測されます。
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万吉西浦遺跡発掘調査2 [発掘調査]

発掘調査は終盤を向かえています。
当初縄文時代の住居跡と思われた遺構は、長径2m程の土壙と判明し、埋甕は屋外の埋甕と判断しました。
写真は、その埋甕を半裁した状態で撮影したものです。波状口縁を呈し、隆帯を渦巻き状に波長部に対応するように貼り付けており、胴部下半はカットされています。煮炊きに使用していた土器を、埋設するにあたりカットした、縄文時代中期後半(約4,000年前)の加曾利E4式土器です。
3D画像はこちら(外部リンクSketchfab)
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きかは便郵146 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介146回目。今回は「熊谷直実」です。
ひげを蓄え、正面を見つめる恰幅の良い僧が描かれています。
建久4年(1193)に法然上人の門をたたき、出家して法力房蓮生と名乗った後の姿を描いたものです。
写真下には「(日本百傑之内) 熊谷直實 KUMAGAI.NAOZANE」と印字されています。
この絵葉書は、「つるや画房」が発行したもので、日本の歴史上の人物百人を選んでつくられたシリーズ絵葉書の一枚です。
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小川専蔵の彫刻5 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介5回目。今回は、八王子市正福寺です。
本堂唐破風と向拝虹梁周辺に精緻な彫刻が施されています。虹梁の上は、童子が太鼓叩き、笛を吹く獅子舞の場面が彫られており、左手には、「彫工 小川専蔵義長」と刻まれています。
あきる野市阿伎留神社の四神を彫った翌年の天保11年(1840)に手掛けたものです。
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ひかり拓本 [その他]

奈良文化財研究所と文化財活用センターが、開発したアプリ「ひかり拓本」。2022年10月5日から12月2日までクラウドファンディングを実施し、359名の方から総額653万円の支援により、昨年6月にリリースしたものです。
「ひかり拓本」は、石に刻まれた文字や文様に対し様々な角度で光を照射してできた影から、画像を合成する特許技術です。
遅ればせながら、試しにアプリを使って、江南文化財センター展示の板碑(弘安九年銘:1286:曼荼羅板碑)を撮影合成してみました。
光を当てないで基準となる「背景画像」を撮影し、その後懐中電灯で角度を変えて光をあてて影をつくった「斜光画像」8枚を撮影し、合成したものです。合成された写真は3Mb程で、合成時間は1分程。
屋外で、読みづらい碑文を後で検討するために記録する、資料を傷めずに記録できる、墨による拓本にくらべ手軽に記録をデジタルで位置情報を含め記録できる等の利点があります。
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小川専蔵の彫刻4 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介4回目。今回も、あきる野市大悲願寺観音堂です。
堂内内陣の欄間彫刻「龍」「天女」です。
龍の欄間彫刻の裏側には「彫工 小川専蔵 同 金蔵 天保六歳」と墨書されています。
天女の欄間彫刻の裏側には「武州大里郡熊谷在 川原明戸邑 彫工彩色 無畏堂小川氏 専蔵義長 慶三良 専之助 天保十三壬寅年」と墨書されています。
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大悲願寺3-1.jpg龍裏墨書
大悲願寺4-1.jpg天女裏墨書

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小川専蔵の彫刻3 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介3回目。今回は、あきる野市大悲願寺観音堂です。この観音堂は、寛政6年(1794)に建立され、天保5年(1834)~天保13(1842)に羽目板などの彫刻部分が付け加えられており、平成17年(2005)1月から平成18年(2006)12月にかけて半解体修復工事が行われ、彫刻部分に鮮やかな色彩がよみがえりました。
この羽目板彫刻の一部を手掛けたのが小川専蔵です。観音堂入口右側の羽目板彫刻「地獄図」には、生前の善悪の行に裁きを与えている閻魔、鬼に、生前の悪行を天秤で量られたり、ヤットコで下を抜かれたり、釜ゆでにされる場面が彫られています。
この羽目板左下には、「彫工 彩色 小川専蔵義長」と刻まれています。
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小川専蔵の彫刻2 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介2回目。今回は、東京都あきる野市上代継明神社本殿です。
上代継神社は、祭神は天照皇大神で、天正年間(1573~92)二城山城主、大石遠江守道俊が中丸の内の旧地より現在地へ遷したと言われています。
本殿左の胴羽目彫刻は寿老人、右の胴羽目彫刻は、神功皇后の玉島汀鮎釣りで、神功皇后が三韓出兵の際、肥前松浦玉島河で裳の糸を使って鮎を釣り、戦勝を祈願している様子です。この故事によって、アユは魚に占という字を当てる事になったといわれています。後ろには竹内宿禰(伝説上の忠臣)が控えています。左下隅に「彫工 彩色 小川専蔵義長」と刻まれています。弘化3年(1846)の墨書も確認されています。
IMG_4488.JPG本殿西側胴羽目
上代継神社3-1.jpg本殿東側
DSC07072-1.JPG本殿東側胴羽目隅


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小川専蔵の彫刻1 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻について紹介します。
今回紹介するのは、東京都あきる野市阿伎留神社の四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)です。
この阿伎留神社の四神は、祭礼期間中、御仮屋を守護するものとして、支柱の上に祀られていたもので、平成26年に本体と台座の修復が行われました。四神本体には、大正9年の修復時に漆や金箔が貼られていましたが、今回の修復では全て取り除き木地像としました。
四体は松材で造られており、主要な部分を一材から彫り出し、足・尾・翼などは別材で接合しています。
平成26年の修理に際し、玄武の台座の底板から、「天保十年(1839)河原明戸邑 小川専蔵藤原義長」の墨書が確認されています。
阿伎留神社4.jpeg青龍
阿伎留神社5.jpeg朱雀
阿伎留神社3.jpeg白虎
阿伎留神社2.jpeg玄武

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