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諏訪神社本殿の檜皮葺の葺替え [建造物]

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 先週から市内上新田に所在する諏訪神社本殿の檜皮葺屋根の保存修理工事がはじまりました。
 破損していた部分の野地板を張り替え、本日から新たな檜皮の設置作業が行われています。檜皮の葺替えは「葺師」と呼ばれる専門の職人によって行われます。作業は、軒先の「軒付」という部分から進められます。軒付に使用される葺き材は、軒付皮と呼ばれ、これを一枚一枚ほどよい高さに積み上げていきます。釘を口に含み、舌を使って一本ずつ口から釘を出して葺き材を留めていく様子はまさに匠の技です。
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欣然庵筆塚碑 [近世]

妻沼の歓喜院境内に建てられている欣然庵筆塚碑を紹介します。
この碑は、天保8年(1837)に建てられた森田欣然の業績を記した筆塚です。
欣然は、天明元年(1781)一本木の田島善兵衛の二男に産まれ、幼少より市川米庵に書を学びました。西城の森田家に婿入りし、文政2年(1819)に私塾を開業し、書や俳諧を教え、天保8年(1837)に没しています。
撰文は昌平坂学問所塾長を勤めた佐藤坦、書・題額は幕末の3筆と称された市川米庵、石工は9代続いた江戸の名石工の廣群鶴です。
書を学んでいた市川米庵との繋がりによるものと思われますが、そうそうたるメンバーにより、この石碑がつくられていることが判ります。
歓喜院にお立ち寄りの際には、ぜひご覧ください。
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欣然庵筆塚碑 廣群鶴鐫
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共通テーマ:学問

国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」での熊谷市火災防御演習 [建造物]


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国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」での火災防御演習

2022年1月23日(日)、熊谷市妻沼に所在する国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」で熊谷市消防本部・熊谷市教育委員会共催の「火災防御演習」が実施されました。東側玄関ポーチ普及から出火する想定で、白煙が出され、火災発見、初期消火、火災通報など一連の流れを実践し、消防隊による延焼防止措置や逃げ遅れた人員救助訓練が行われました。江南文化財センター担当者は、火災発見から通報などを担い、文化財建造物の保全のために想定されるリスクマネージメントを体感する演習となりました。

毎年1月26日の「文化財防火デー」には、文化財防災に向けた啓発が国内各地で行われています。文化財防火デーの制定は、昭和24年1月26日に、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、壁画が焼損したことを契機としています。この事件は国民に強い衝撃を与え、火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まり、翌昭和25年に文化財保護の統括的法律として文化財保護法が制定されました。その後、昭和29年に法隆寺金堂の修理事業が竣工し、文化財保護行政も確立するとともに、文化財保護思想の一層の強化徹底を図るために普及活動事業が行われるようになりました。その一環として、法隆寺金堂の焼損した日であること、1・2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから、昭和30年に1月26日を「文化財防火デー」と定め、以来、文化庁と消防庁が連携・協力して、毎年、全国的に文化財防火運動を展開しています。


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源宗寺「平戸の大仏」一般公開のお知らせ  [お知らせ]

 昨年12月22日~26日及び本年1月1日~3日の源宗寺新本堂一般公開には、大勢の皆様にお越しいただき、大変賑わいました。
 ご好評につき、2月以降も下記の日程にて新本堂及び平戸の大仏の一般公開を行いますので、お知らせ致します。
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 なお、新型コロナウィルスが感染拡大しておりますので、その状況によりましては、中止にさせていただくこともありますので、何卒ご了承ください。

【日 時】
令和4年 2月 6日(日) 午前10時~12時
    2月20日(日) 午前10時~12時
令和4年 3月 6日(日) 午前10時~12時
    3月20日(日) 午前10時~12時


【場 所】
源宗寺新本堂(埼玉県熊谷市平戸644)
※車でお越しの方は、本堂裏の駐車スペースをご利用ください。


【お願い】
新型コロナウィルス感染防止のため、次のご協力をお願いいたします。

1. 以下に該当する場合には、拝観をご遠慮ください。
•体調が良くない(発熱や風邪の症状があるなど)
•同居家族や身近な知人などに感染が疑われる人がいる
•新型コロナウィルス感染陽性とされた方との濃厚接触がある

2.マスクの着用、手指の消毒をお願いします。
3.氏名、住所、電話番号、健康状態等についての記帳の協力をお願いいたします。


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星川彫刻プロムナード解説会 [普及事業]



熊谷市街地を流れる星川には人物像彫刻を配置した星川彫刻プロムナードがあります。その彫刻群を保存活用することを目的に結成した星川彫刻プロムナード研究会のイベントとして開催した彫刻の解説会の様子をYouTubeで配信しています。ご参照ください。


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第23回源宗寺本堂保存修理員会 [その他]

 令和4年1月19日(水)、星宮公民館にて第23回源宗寺本堂保存修理委員会が開催されました。
 昨年末に源宗寺新本堂が無事に落慶式を迎え、年末年始の一般公開には、大変の多くの方々にお越しいただきました。現在現地では、本堂の外構工事や桶置場の設置などの周辺整備が進められています。
 会議では、仏像の胎内に納める寄附者名簿の作成や、4月から始まる仏像の第Ⅱ期工事、今後の保存活用に向けた体制づくりなどについて協議を行いました。
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 会議終了後は、会場近くの愛染堂にて見学会を行い、愛染堂保存修理事業にも携わっていた委員会メンバーは、当時の活動を思い出し懐かしんでいました。
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上北浦遺跡出土「岩版」速報展 巡回展のお知らせ [縄文時代]

 4~6月に発掘調査した上北浦遺跡の遺物が、以下の日程で熊谷市立図書館 郷土資料展示室と熊谷市立妻沼展示館に巡回展示されることになりました。10月頃、埼玉新聞と毎日新聞に掲載された「岩版」のほか、縄文時代後・晩期の耳飾・土偶・石棒・骨角器などが展示されています。この機会にぜひ御覧になっていただければと思います。
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○巡回日程

 ・熊谷市立図書館郷土資料展示室
 会期:令和4年1月11日(火)~2月13日(日)
 開館時間:午前9時~午後5時
 休館日:毎週月曜日、第1金曜日、祝日
 会場:熊谷市立図書館3F郷土資料展示室
    熊谷市桜木町2-33-2
    048-525-4551

 ・熊谷市立妻沼展示館
 会期:令和4年2月22日(火)~3月20日(日)
 開館時間:午前9時~午後5時
 休館日:毎週月曜日、祝日
 会場:熊谷市立妻沼展示館
    熊谷市妻沼東1-1
    048-588-2044


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災害の碑 [展示]

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 近年というか、最近各種災害が多発しているようにも感じられます。災害の発生は熊谷市でも例外ではありませんでした。過去の風水害、地震・火山噴火などによる天災は周期的にやって来ることが明らかになっています。先人たちはこのことを体験的に学び後世の人たちに伝えるために「天災は忘れたころにやって来る」という言葉を残し、災害に関係した場所には「伝承碑」を建て、災害の記憶と復興への努力を伝えるなどの様々な「記憶遺産(情報)」を遺しています。
 今月から「埼玉県立川の博物館」では埼玉県内の災害に係る「伝承碑」を紹介する展示が開かれています(冬期企画展「埼玉県の災害伝承碑」)。熊谷市内に残る碑を始め関係資料も紹介されていますので、埼玉県内の災害の歴史を知る良い機会と思います。
 なお、ポスターに掲載された「備前渠再興碑」は市内八木田の水道施設脇に所在する碑でこの碑自体も最初の碑が痛んできたために再興されたものです。この碑には天明3年(1783)に起こった浅間山噴火に伴う火山泥流により利根川の流れが変わり、灌漑水路であった備前渠に発生した被害と復興までの来歴などが記されています。

 企画展名 「埼玉県の災害伝承碑」  
 場  所 埼玉県立川の博物館 寄居町小園39 でっかい水車がランドマーク
 会  期  令和4年1月15日(土)から 同年3月6日(日) 休館―月曜日
 開館時間  9:00 ~ 17:00  [電話]  048-581-7333
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木曽義仲生誕の地 その2 [紀行]

 鎌形八幡神社から2キロほどのところに、義仲の父・義賢が館を構えていた大蔵館跡があり、跡地内には大蔵神社があります。
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 久寿2年(1155)、義賢の勢力拡大を恐れた兄の義朝は自身の長男・義平(悪源太義平)に命じ大蔵館を攻撃し、義賢は討たれてしまします(「大蔵館の変」)。このとき、駒王丸(後の木曽義仲)と母・小枝御前は他出していて難を逃れます。悪源太義平の家来であった畠山重能(重忠の父)は、駒王丸を探し出し殺すようにと命じられます。重能は、駒王母子の無事を知るとこれを救出し、長井庄の庄司であった斎藤別当実盛に母子を託しました。実盛は、駒王母子をしばらくかくまっていましたが、追手の探索が迫ってきたため、駒王丸の乳母の夫で信濃国権守であった中原兼遠に二人の身を託しました。駒王丸はすくすくと育ち、木曽冠者義仲と称されるようになります。

 館跡は、周囲を堀と土塁で覆われ、規模は東西220メートル、南北170メートルで、近年の発掘調査により、一辺70メートルほどの小館が存在したことがわかっています。大蔵館跡は県の指定史跡となっています。

 また、大蔵館跡から東に200メートルほどのところに、源義賢の墓とされる五輪塔があります。火災による変色のあとがみられますが、県内に所在する五輪塔の中では最古の部類に属します。
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企画展『瓦塔と瓦堂』開催中 ―立正大学博物館(熊谷熊谷キャンパス内)― [展示]

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 仏教の伝来後、日本全国に寺院が建てられ、熊谷市内にも塔・金堂などの本格的な伽藍を持った西別府廃寺、寺内廃寺始めとする古代寺院遺跡が所在しています。当時の建物はすでに失われていることから、本来の姿を知ることは難しいかもしれません。
 瓦塔・瓦堂は本来の寺院建物を模して造られたミニチュアともいえる遺物で、祀られた寺院跡や造られた窯跡などから出土しています。丹念な作りから破片となっても元の建物の姿を想像させてくれます。市内からは上記2遺跡から出土した遺物が紹介されています。生産遺跡との比較も試みられており精選された展示となっています。また、小図録も用意されており、見ておきたい企画展と思います。
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企画展入り口
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展示室の様子
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