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9月3日に開催予定でした星溪園楽しいお茶会は中止になります。 [お知らせ]

9月3日に開催予定でした、星溪園での楽しいお茶会は諸事情により中止となりました。お楽しみにされていた皆様には申し訳ありません。次回、第3日曜日の9月18日は開催する予定です。

連絡先 048-536-5062


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上新田屋台囃子 [お知らせ]

熊谷市指定無形民俗文化財に指定されている、上新田屋台囃子が下記の通り行われますのでお知らせします。
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日 時:令和4年8月28日(日)午前11時頃~
    ※お囃子の演奏のみ。新型コロナウイルス感染拡大防止のため屋台の巡行は行いません。
場 所:諏訪神社(熊谷市上新田227)


 江南地域の上新田地区にある諏訪神社の大祭で演奏される囃子は、江戸中期から始められ、明治時代以降から民俗芸能として本格的に継承されています。
 囃子について記した「大帳」が残されており、それによると、「新囃子(しんはやし)」、「屋台囃子(やたいばやし)」、「ショウデン」、「鎌倉(かまくら)」、「神田丸(かんだまる)」の五曲目を有していることが知られています。現在では、「屋台囃子」を中心に演奏されます。活気溢れる太鼓の音は、盛夏の人々の心に快く響きます。


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きかは便郵128 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介128回目。今回は「熊谷寺」です。
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駅弁掛紙で紹介した熊谷寺の写真と同じ構図のもので、大正4年(1915)に再建されて間もない熊谷寺本堂を、中村写真館が撮影したものです。
熊谷寺は、建久4年(1193)頃に、熊谷次郎直実(1141-1207)が出家して、館の一郭に庵を結んで僧俗に開放して教えを説いたことに始まり、その後、天正19年(1591)にその庵の跡に、幡随意上人(1542-1615)が寺院を建立したと伝えられている浄土宗寺院です。
本堂正面の参道石畳上には、回向柱が立てられ、柱上部に結びつけられた白い紐が、本堂内部へと伸びています。この紐は、本堂内で五色の糸に変わり、さらに本尊の阿弥陀仏の右手中指から伸びる金糸と繋がっています。この本尊と繋がった回向柱は、阿弥陀仏の命を宿すとされ、回向柱の一面でも触れると、本尊に直接触れるのと同じ功徳が得られると言われています。
この回向柱は卒塔婆の一種で、柱の上部には四箇所に刻みが入っています。これは、「空・風・火・水・地」の五つの要素が、完全な姿で存在する様子を表現したものです。
回向柱の正面には、五つの要素を表す梵字で、キャ:十一面観音菩薩、カ:地蔵菩薩、ラ:羅喉星、バ:薬王菩薩、ア:大日如来と書かれ、その下には「奉修開山蓮生大法師二拾五萬二千二百日供養之寶塔」と書かれています。
この他、回向柱の奥にもう一本上部が布で覆われた新しい回向柱が立てられており、下部には「大慈恩塔」の文字が書かれています。
蓮生法師の没年が建永2年(1207)であることから、252,200日(690年)後は、明治30年(1897)となります。本堂は安政元年(1855)に火災に遭ったものが、明治34年(1901)再建の許可が下り、明治40年(1907)4月10日蓮生法師700年忌を期して上棟し、大正4年(1915)竣工したもので、再建後に改めて法要が行われたことが推測されます。
本堂にはこの上棟式に使われたと思われる「檀徒有志者」寄附による八つ割萬生紋が描かれた幕が下げられており、「明治四十年四月十日」と記されています。
この他、本堂入り口には「戒壇めぐりできます」の貼紙が掲げられています。
再建当時の熊谷寺本堂の様子を伝える貴重な写真です。

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熊谷市指定有形文化財(絵画)「八幡神社古絵図」に関する芝浦工業大学と東京藝術大学研究者による調査 [絵画史]

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(小柏典華(芝浦工業大学)・大和あすか(東京藝大)共同研究(公益財団法人出光美術館の助成による))

 令和4年6月下旬から、東京藝術大学保存修復日本画研究室にて、芝浦工業大学の小柏典華先生と東京藝術大学の大和あすか先生の共同研究による、熊谷市指定有形文化財(絵画)「八幡神社古絵図」の科学的調査が行われています。 
 8月21日(日)、東京藝術大学保存修復日本画研究室に伺い、調査の様子を拝見させていただきました。
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(東京藝術大学 赤レンガ2号館)
 東京藝術大学上野キャンパス内にある赤レンガ2号館は、明治19年に建設され、隣接する赤レンガ1号館に次いで都内で2番目に古いレンガ造の建物です。現在は、保存修復日本画研究室として使用されており、調査はこのレンガ棟の3階で行われています。
 この日は、可視光反射スペクトル法による分析が実施されていました。この分析は、可視領域の波長400~800nmの光を試料に照射し、そこから反射した光を検出することでスペクトルを取得して測定する分析方法で、染料などの有機物の色素を同定することに適しています。
 このほか、今回の調査では、マイクロスコープ観察や蛍光X線分析、紫外線、赤外線分析など多角的な手法で分析が行われています。

 「八幡神社古絵図」は、徳川家御用工匠であった藤原正清が、徳川家光の依頼により寛永3年(1626)に作成した設計図に、狩野探幽守信が盛付け画法により、彩色を施した二幅の絵画で形状が双方異なり、現在は掛軸に表具されています。藤原正清の孫が妻沼の林家に養子となったときに、持参したと伝えられ、妻沼聖天堂設計の参考となったと言われています。その後、林家と共作関係にあった清水家が引き継ぎ、保存しています。今回の調査では、清水家所蔵の資料調査も合わせて実施しており、当該資料の歴史的意義などの解明に向けて調査研究を進めています。東京藝術大学での科学的調査は、9月末まで行われる予定です。




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熊谷市江南保育所 江南文化財センター見学会 [普及事業]

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5月20日、熊谷市江南保育所の年長児童の皆さんが、江南文化財センターの見学に訪れました。展示されている土器や埴輪、原子古代の人々の暮らしについて分かりやすくお話ししました。埴輪は何のために作られたの。土器は土が固くなったの。このような質問を受けながら、センター内のご案内しました。


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今井の廻り地蔵 [民俗]

 市内今井では、毎年1月と8月の年2回、地区内に所在する浄業庵に祀られている地蔵尊を担いで、今井地内の各廓を廻り、地蔵尊に念仏を唱えて子育てや家内安全、長命息災を祈願する「今井の廻り地蔵」が行われます。
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(浄業庵)

 地蔵尊の縁日である8月16日の午前10時、浄業庵では、地元の人々が集まって地蔵尊を祭壇に祭る準備が行われていました。地蔵尊の祭壇の下には念仏に使用する太鼓や鉦(かね)などの楽器が並べられ、手の空いた人から地蔵尊に礼拝を済ませると、楽器を演奏する3名が選ばれ、念仏が唱えられます。午後になると、実相院の住職が浄業庵を訪れ、祭礼が行われます。
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 縁日の翌日である17日午前10時、地蔵尊は新井廓の人々によって、浄業庵から150メートルほど離れた新井集会所に送られます。お宿の主人が厨子を背負って歩き、その後ろに、紅白の旗を持った人が続きます。
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(宿帳)
 厨子の下部に設けられた引き出しには宿帳が入っており、各お宿の人は集まった賽銭の額を記入してから、地蔵尊とともに次のお宿へ送ります。
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(地蔵尊に奉納されたお守り)
 厨子の前面には、中に綿を詰め三角形の布で包んだお守りが吊り下がり、その下部には、子供の名前や生年月日が書かれた紙片がつけられています。これらの多くは、子供が生まれた家から奉納されたものです。また出生時に限らず、体が弱い子の親が健やかな成長を願って奉納する例や出生前に安産祈願を願って奉納する例もあるようです。
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 17日の夜になると、新井集会所には新井廓の人たちが、礼拝に訪れ、念仏が唱えられます。このあと、19日から24日にかけて、毎日、地蔵尊は各廓を廻り、最終日の25日に新井廓に戻されます。

 

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駅弁掛紙9 [その他]

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介9回目。今回は秋山亭の「寿司」です。
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桜の花びらを型取った3枚の枠中に、上から高城神社、桜堤、熊谷寺の写真が入っています。左下には「熊谷駅前 秋山亭」と記されています。昭和になると「熊谷驛」「熊谷驛構内」と記されるようになることから、当初は熊谷駅前でも売られていたことが分かります。
左枠外には、「定價金拾参銭」と、「上 縣社高城神社(驛ヨリ三丁) 中 櫻堤(驛前) 下 熊谷寺(驛ヨリ六丁)」と写真の説明が記されています。
右枠外には、「本品に付き不都合其の他御心付きの点有之候節は御手數ながら鐵道係員に御申告煩し度候」と記されています。
熊谷寺の写真には、回向柱が立てられており、大正4年に熊谷寺が再建され、蓮生大法師二拾五萬二千二百日供養として行われた法会の様子を写したもので、この駅弁掛紙は、大正4年頃に発売されたものと思われます。
下枠外には、「中村写真館撮影」と記されており、熊谷寺の写真と同じ構図ものが、中村写真館撮影絵はがきとして発売されています。

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新本堂での初めての施餓鬼法要ー源宗寺「平戸のおおぼとけ」ー [その他]

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 先の大戦から77年目の終戦の日である昨日8月15日、熊谷市指定有形文化財「木彫大仏坐像」(平戸のおおぼとけ)を擁する再興なった源宗寺本堂で施餓鬼法要が営まれました。昨年の夏は本堂建築中であり2年ぶりの平戸源宗寺での施餓鬼法要です。多くの源宗寺護持会の皆さんが参加されました。
 熊谷市は、中島飛行機の部品製造の重要拠点、分配ネットワークの主要基地であったことから、終戦当日の昭和20年8月15日の未明にかけアメリカ軍の空襲を受けました。太平洋戦争最後の空襲と言われています。
 源宗寺のある熊谷市東部地区には、中島飛行機向けに航空機用ピストンリングを製造していた理研工業熊谷工場があり、爆撃されました。
 昨日、施餓鬼法要を営んでくださいました岸住職の東竹院大伽藍も空爆により灰塵と化し、源宗寺南方2~300m程に位置する超願寺も空襲で焼失したとされています。
 しかしながら、理研熊谷工場の東方4~500mと至近にある源宗寺は奇跡的に焼失を免れました。
 熊谷大空襲による被害は、市街地の74%にあたる35万8千坪、全戸数の40%に相当する3,630戸が焼失し、全人口の28%にあたる1万5千人が被災し、うち266人が死亡したとされています。
 “平戸のおおぼとけ”にかかる熊谷市の文化財現状調書には、その空襲の7年後の昭和27年に、檀徒によって堂宇の改修を行い面目を改めた、とあり、昭和29年11月3日、熊谷市の有形文化財に指定されています。
 当時の源宗寺檀徒の皆さん、平戸地区の人々の使命感や文化的財産に託された意味に思いを馳せる一日となりました。
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(参列する源宗寺護持会の皆さん)     (挨拶をする岸住職)
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源宗寺新本堂・平戸の大仏 一般公開のお知らせ [仏像]

熊谷市指定文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大仏)の一般公開の日程を、下記のとおりご案内申し上げます。
一般公開では、仏像を間近に拝観することができます。ぜひお越しください。
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開催日時
※毎月 第1、第3日曜日 午前10時から12時まで。但し、8月はお盆の準備があるため、第1、第3日曜日の一般公開を中止し、お盆期間中の下記日程にて公開を行いますのでご注意ください。

令和4年8月15日(月) 午前9時~12時(施餓鬼中のため本堂内には入れません。)
    8月16日(火) 午後14時~18時(送り盆)
令和4年9月 4日(日) 午前10時~12時
    9月18日(日) 午前10時~12時
令和4年10月 2日(日) 午前10時~12時
    10月16日(日) 午前10時~12時
令和4年11月 6日(日) 午前10時~12時
    11月20日(日) 午前10時~12時

(注)新型コロナウィルスの感染状況によりましては、中止にさせていただくことも
ありますので、何卒ご了承ください。

場 所
源宗寺新本堂(埼玉県熊谷市平戸644)
※車でお越しの方は、本堂裏の駐車スペースをご利用ください。


お願い
新型コロナウィルス感染防止のため、次のご協力をお願いいたします。

1. 以下に該当する場合には、拝観をご遠慮ください。
•体調が良くない(発熱や風邪の症状があるなど)
•同居家族や身近な知人などに感染が疑われる人がいる
•新型コロナウィルス感染陽性とされた方との濃厚接触がある
2.マスクの着用、手指の消毒をお願いします。
3.氏名、住所、電話番号、健康状態等についての記帳の協力をお願いいたします。




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熊谷市立星宮小学校 歴史探検 [普及事業]

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6月2日、熊谷市立星宮小学校3年生の歴史探検が、熊谷市指定有形民俗文化財「愛染明王・藍染絵馬」を収蔵する愛染堂や、同文化財「石像十三仏」を安置する梅岩院で行われ、それぞれの場所での解説を行いました。星宮小学校来年度「成田星宮小学校」として学校が閉校されることから、地域学習としての歴史探検は今年が最後となります。寂しさもありますが、皆さんは郷土の文化を熱心に学んでいました。




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