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熊谷図書館YouTubeチャンネル開設 [お知らせ]

この度、熊谷市立熊谷図書館では、YouTubeチャンネルを開設しました。
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このチャンネルは、熊谷市立熊谷図書館で行う図書館司書・学芸員活動や、所蔵する映像資料を適宜公開することにより、熊谷図書館の周知と、郷土熊谷に関する興味・関心を深めることを目的として、開設しました。
現在、昭和34年撮影の市内の行事(お花見・魚釣り大会・棒術等)を写した映像を5本公開しています。
今後も随時新しい映像を追加していく予定ですので、チャンネルの登録をお願いします。

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きかは便郵129 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介129回目。今回は「埼玉県立熊谷高等女学校」です。
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この写真は、熊谷高等女学校での生徒活動の様子を写したもので、右上の写真は「點茶」と印字されています。
先生が床の間の前に座り、和服を着て髪を結った六人の生徒が向かい合い、右側の生徒が、風炉で沸かした茶釜の湯を、茶勺で茶碗に注いでいます。
床の間には花瓶に花が活けられ、大きな掛け軸が二幅掛けられています。
この掛け軸は、中国南宋の軍人で政治家の文天祥(1236-1283)の漢詩で、「孝敬父如天敬母如地汝之子孫亦復如是」意は、父は天のようで、母は大地のように尊いものだ、あなたの子孫もまたその繰り返しなのだから同じように尊ぶべきである。
「忠上事於君下交於友内外一誠終能長久」意は、「君主の為を思って忠勤に励み、友人と誠意を持って付き合うように、皇帝・延臣と庶民とが誠実に生きていければ、国家は長く平和でいられるだろう。」であり、儒教的な内容となっています。
左下の写真は、「作業」と印字されています。モンペを着た20人程の女学生が、鍬を持ち、校舎脇の畑を耕しています。
大正末から昭和初期の、忠・孝を重んじ茶道をたしなみ、勤労作業も行う、当時の女学生の様子を伝える写真です。
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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.2 曹源寺 [熊谷の名工]

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 秋葉神社から南西に4㎞ほどのところに、曹源寺という開創五百年余の古刹があります。山門を潜り正面の石段を登ると、美しく整備された庭園と荘厳な本堂が現れます。
 曹源寺は、室町時代1433年頃、修行に励んでいた大龍音吉禅師が夢枕に立った僧侶の「葛のつるを伝っていき、その根元に至ったならば、そこに一宇を建立するがよい。必ず栄えるであろう」との声に導かれ、この地に小さな寺を造り草源寺と称したことが始まりとされています。1465年頃、公器賢章禅師を招き、草源寺を整備して萬年山曹源寺と改め開山となりました。その後は、栃尾城主北畠山城守から広大な土地を寺領として寄進され、三代に亘り栃尾城主の菩提寺となりました。1840年、火災により寺の大部分を焼失し、1843年に再建されました。その後、寺の修復や整備を重ね、現在に至っています。
 こちらの本堂には、石川雲蝶と小林源太郎が手掛けたとされる欄間彫刻が今に残ります。堂内の一般公開は通常行っておりませんが、今回は参拝というかたちで特別に堂内にあがらせていただきました。
 本堂に入ると、まず目を引くのが扁額の左右にある2枚の欄間彫刻です。向かって右手が「三国志 唐人馬上の図」、左手は「足利尊氏が鎮西に逃れる図」です。この2枚の欄間彫刻は、雲蝶によって手掛けられたものです。横160㎝、縦63㎝、厚さ22㎝の透かし彫り彫刻で、遠近感のある彫りは非常に見事で、馬に乗った偉人達が今にも飛び出してきそうです。
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「三国志 唐人馬上の図」雲蝶作
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「足利尊氏が鎮西に逃れる図」雲蝶作
 また、その左隣2面、右隣6面にも欄間彫刻が配され、これらは源太郎の作と伝わっています。
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「新田義貞公」源太郎作
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「神功皇后の図」源太郎作
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「天照大神 天岩屋戸の変」源太郎作
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「孔雀と牡丹の図」源太郎作

 彫刻から話は移りますが、こちらの曹源寺には長岡市の文化財に指定されている延命地蔵菩薩が鎮座しています。本堂左手に位置する地蔵堂に半跏の姿で鎮座する延命地蔵菩薩は、寄せ木造りで高さは3.6メートルに及び、その大きさに圧倒されます。江戸時代後期の作ですが保存状態は非常に良く、当時の彩色、金箔が色鮮やかに保たれています。左手に薬壺、右手には錫杖を持ち、穏やかな表情で瞑想にふける様子からは、どこか温かみを感じます。
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 このほか堂内には、閻魔様や十王像など大小様々な像が並び、地震や豪雪などの自然災害に見舞われながらも、大切に保管され、今に受け継がれています。改めて、文化財に込められた人々の思い、また、その思いを文化財を通して継承していくことの大切さを実感する機会となりました。


参考文献
・栃尾観光ガイドクラブ「栃尾の石川雲蝶を訪ねる」
・曹源寺パンフレット


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熊谷市指定無形民俗文化財「今井の廻り地蔵」【今井の廻り地蔵保存会(熊谷市今井) 2022.08.16、17撮影】 [民俗]


令和4年8月16日、17日、市内今井にて、今井の廻り地蔵が行われ、地蔵尊が今井地区内の各廓を廻りました。
ここ数年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、規模を縮小しながらも継続的に活動を続けています。
その様子を収録した動画をYouTubeで配信しています。どうぞご参照ください。
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「BUNKAZAI情報」第32号 [お知らせ]

江南文化財センター情報誌「BUNKAZAI情報」第32号を発行しました。
本年春頃から現在までの本市の文化財保護事業について、集福寺境内・建造物群の熊谷市文化財指定、無形民俗文化財の記録化などをはじめ、埋蔵文化財・有形文化財の保護、啓発事業などを中心に紹介しています。
今後、熊谷デジタルミュージアムでの掲載のほか、市内施設・図書館・公民館等でモノクロ版を配布します。
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記事の詳細についてのお問合せは江南文化財センターまで宜しくお願い致します。
江南文化財センター 電話:048-536-5062
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熊谷市立文化センター公式Facebook [お知らせ]

熊谷市立文化センターでは、公式Facebook「熊谷市立文化センター」を開設し、文化センターの美術・郷土資料展示室が行う展示、司書・学芸員活動、熊谷の郷土資料に関する情報等を発信しています。
ぜひご覧いただき、フォローよろしくお願いします。
*注意:文化財センターではありません。文化センターです。
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新潟の旅ー熊谷の名工の足跡を辿るー No.1 秋葉神社奥の院 [熊谷の名工]

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 秋葉神社奥の院は、新潟県長岡市に所在する秋葉公園内にあります。火伏せの神、秋葉三尺坊大権現をお祀りする秋葉神社の奥の院として、弘化3年(1846)に建立されました。彫刻は、雲蝶と源太郎によって手掛けられ、翌年から8年の歳月をかけて安政5年(1858)に完成したと伝えられています。
 奥の院は高床に回廊を巡らし、屋根は檜皮葺きで、土台から破風に至るまで豪華絢爛な彫刻で埋め尽くされています。現在、社殿は文化財保護のため、覆屋に覆われており、格子状の編み目からその様子を見学することができます。
 木鼻の獅子、海老虹梁の龍、手挟みの鳳凰が向拝を飾り、唐破風上部には、鷹の彫刻が施されています。これら向拝回りの彫刻は、龍の彫刻などを得意とした源太郎によるものと推測されています。
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 一方、長押回りは、雲蝶が担当したとされ、烏天狗(からすてんぐ)の図が施されたケヤキの一枚板が、東面、南面、西面に嵌め込まれています。
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東面「烏天狗の酒宴の図」
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南面「牛若丸と烏天狗の試合の図」
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西面「烏天狗の敗北の図」

奥の院は、秋葉神社拝殿と共に長岡市の文化財に指定されています。


参考文献
・栃尾観光ガイドクラブ「栃尾の石川雲蝶を訪ねる」
・木原尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』
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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.0 雲蝶と源太郎 [熊谷の名工]

 江戸時代後期から明治にかけて活躍した彫刻師の一人に、石川雲蝶という人物がいます。雲蝶は文化11年(1814)、江戸雑司ヶ谷(現東京都豊島区)に生まれ、越後(新潟県)に多くの作品を残しています。雲蝶の作品は、芸術性に優れ、木彫のみならず、絵画、石彫、漆喰細工と多岐にわたることから、「越後のミケランジェロ」あるいは「日本のミケランジェロ」とも称されています。
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(西福寺開山堂の仁王像を彫り上げる石川雲蝶の像)

 そんな雲蝶と同時代に活躍したのが武州熊谷(現埼玉県熊谷市)出身の小林源太郎です。源太郎は、初代小林源八を継いだ二代目で、父の源八は国宝・歓喜院聖天堂の彫刻を手掛けたとされる石原吟八郎を継いだ2代目石原吟八に師事しています。源太郎は、寛政11年(1799)に熊谷市玉井村に生まれ、弘化2年(1845)に越後へ旅立ち、以後、雲蝶と共に多くの作品を残しています。神社仏閣の彫刻に秀で、特に子持ちの竜や中国の物語による人物像を得意としました。
 雲蝶、源太郎ともに、文書等による資料は極めて少なく棟札や彫刻にその名を残すのみですが、二人の作品が現存するところでは、その人柄や生い立ちが語り伝えられています。
 真偽は定かではありませんが、二人は一緒に越後入りしたという説もあります。二人は三国峠の権現堂で金剛力士像の彫り比べをし、互いにその腕を認め合い、共に越後へ向かったといいます。
 今回の旅は、熊谷の名工・小林源太郎の作品に焦点を当て、源太郎の越後での足跡を辿ります。しばしお付き合いいただければ幸いです。



参考文献
・木原尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』
・小出町教育委員会1996『小出町史 上巻(序説・原始・古代・中世・近世・民俗)』
・三条市史編集委員会1981『三条市史 資料編第一巻考古・文化』
・阿部修治2020『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』
・日下部朝一郎1982『熊谷人物辞典』

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令和3年度新指定熊谷市文化財速報展 [展示]

 本日から11月6日(日)までの会期で、熊谷市立熊谷図書館 3階 郷土資料展示室で開催されます。
 本展示は、令和4年3月31日付けで市文化財に指定された有形文化財・考古資料「中西遺跡出土遺物」「立野古墳群第12号墳出土遺物」の2件について、いち早く皆さんにご覧いただくために開催しています。この度の有形文化財・考古資料2件は、発掘調査による出土品としては、平成17年2月以来17年振りの指定となります。
 今回の展示は、江南文化財センターを皮切りに、熊谷市スポーツ・文化村「くまぴあ」と巡回し、3か所目の会場で最後となります。
 郷土展示室入口入って左手2番目の展示ケースです。是非、この機会に足をお運びください。
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住 所:熊谷市桜木町二丁目33番地2
電 話:048-525-4551
休館日:9月20日・26日、10月3日・7日・11日・17日・24日・31日
    11月4日
展示に関する問合せ:熊谷市立江南文化財センター 電話048-536-5062


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油彩画・大久保喜一展 [展示]

熊谷市立熊谷図書館3階郷土資料展示室で、下記のとおり「油彩画・大久保喜一展」が開催されています。
会 期:令和4年9月6日(火)~12月4日(日)
休館日:毎週月曜日、9/20、10/7、10/11、11/4、11/24、12/2
時 間:午前9時~午後5時
場 所:熊谷市桜木町2丁目33番地2 熊谷市立熊谷図書館3階郷土資料展示室
電 話:048-525-9463
大久保喜一(明治18年~昭和23年)は、本庄市に生まれました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)の西洋画科へ入学し、油彩画を黒田清輝等の指導を受けました。作風は、師である黒田清輝譲りの外光表現を得意とし、「ガラスの大久保」と称されました。大正5年の第10回文展に初入選し、大正8年には、県下初の洋画団体「坂東洋画会」を結成し、多くの作品を制作する傍ら、里見明正や須田克太、上岡良など後進の育成に尽力しました。
今回の展示では、当館所蔵の熊谷市指定文化財3点のほか、デッサン画等を含めた9点を展示します。
丁寧に描かれたデッサン画や作品ごとに異なる光の表現の油彩画をご鑑賞ください。
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