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星川鯉つり大会 [その他]

昭和28年に撮影された市内の紹介3回目。
今回は、星川で行われた鯉つり大会の写真です。
星川の上には横断幕が掲げられており、「市制二十周年記念 市長杯争奪戦 九時~四時 鯉つり大会 懸賞つり 十二日十三日 主催 大里漁業協同組合 共催 ヤマキ 八木橋百貨店」と書かれており、市制二十周年を祝して開催されたことがわかります。
星川の両岸には、大勢の人が釣竿を手に川面を見つめています。
この魚つり大会は、その後定期的に行われていたようで、昭和34年に行われた魚つり大会の様子の動画(熊谷市立熊谷図書館YouTube)が撮影されています。
星川鯉釣り大会2.jpg
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オートバイサーカス [その他]

昭和28年に熊谷市内を写した写真を紹介します。
場所は不明ですが、オートバイサーカスの興行を行っている木造の仮設小屋が写っています。小屋の前には実物のオートバイが展示されています。
掲げられた木製看板には、オートバイの絵が描かれており、大きな幟旗が立てられています。看板には「■■■懸賞金付!特別大興行 決死的大冒険 直立■壁曲乗り」と書かれています。
この他熊谷市内では、上熊谷駅前広場で、シバタ大サーカスが大正11年から昭和38年まで、矢野大サーカスが昭和26年頃、カキヌマ大サーカスが昭和45年、赤城久伊豆神社境内で東京サーカスが昭和57年に興行を行っています。シバタサーカスの初代団長柴田隆英は、昭和2年熊谷講演中に急死したため、熊谷寺の墓地に葬られました。
熊谷は関東でも有数のサーカスが数多く興行を行った町でした。
〈参考〉
「コラム 絵葉書で見る熊谷の歴史⑩」『熊谷市史研究』第13号 令和3年 熊谷市教育委員会
「熊谷懐古点描⑨サーカス」『一枚の絵葉書から学ぶ発行当時の熊谷の郷土史』 令和5年 熊谷雑学研究所
サーカス公演2.jpg
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荻野吟子誕生祭 [その他]

3月3日は、熊谷出身の日本公許登録女性医師第1号の荻野吟子(1851-1913)の誕生日でした。
市内俵瀬の荻野吟子記念館では、3月1日~3日にかけて、NPO法人阿うんの会による生誕祭が行われました。
川津桜(妻沼地域では荻野吟子の誕生日前後に咲くことから吟子桜と呼称)が開花する中、紙芝居、マジックショー、八木節の披露等のイベントが行われ、大勢の方々が来館していました。
IMG_2739.JPG荻野吟子の紙芝居。窓の外には吟子桜
IMG_2740.JPG市指定文化財史跡「荻野吟子生誕之地」
IMG_2741.JPG開花した川津桜(吟子桜)
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雪の風景 [その他]

昨日から降り続いた雪は、今朝方小雨に変わりました。
熊谷地域では12㎝程積もりました。
妻沼聖天堂、樋春平山家住宅、押切波乗り弁財天、鎌倉町星溪園の雪景色をご覧ください。
PXL_20240205_072929017.jpg江南文化財センター
2E4B0C6E-A589-4B40-8C63-E67DADD58EA9.JPG妻沼聖天堂本殿
8B82551B-8CBB-4A83-8FAE-BE1539548B6A.JPG樋春平山家住宅
826ABF20-ACE9-41E9-BD61-FE911176AD5C.JPG押切波乗り弁財天
18B7547B-09FF-41E3-8B89-35BD9E0512DD.JPG鎌倉町星溪園松風庵
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大久保喜一作の肖像画2 [その他]

大久保喜一作の肖像画紹介2回目。今回は、小原村村長の、第2代(飯島邦政:明治24年~明治27年)、第3代(小久保壽三:明治27年~明治36年)、第6代(小林瀧松:大正2年~大正6年)の肖像油彩画3枚です。
これらの肖像画は、旧江南町の旧庁舎2階会議室に掲げられていた、小原村・御正村・江南村の歴代首長・議長の肖像の中に飾られていたものです。
いずれも、人物の印象が鮮やかで、人柄や村長としての意思の強さが伝わる優れた人物画として描かれています。
IMG_0747.jpeg飯島邦政
IMG_0751.jpeg小久保壽三
IMG_0749.jpeg小林瀧松


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聖天山開扉記念写真5 [その他]

昭和12年に、妻沼歓喜院の開扉に伴い、町内各所に設置された「造りもの」(飾り人形:本庄の人形師2代松崎富司製作)の絵葉書(飯田写真館撮影)が発売されたことが『妻沼町誌』に記載されています。
場所と内容は、日本武尊が歓喜院門前南側、布袋と福禄寿の首引きが料理屋千代舛東角の茶の間、天明水滸伝が聖天山大師堂西、忠臣蔵中庭の場が池の上北側、天岩戸が上町伊勢谷酒店南、忠臣蔵七段目が仲町橋上家宅表通、鬼ヶ島が下町の提灯屋北側、日蓮上人猿引が仲の湯北、日蓮上人瀧の口御難の場が瑞林寺西、水戸黄門石屋の場が羽生道はずれの橋南、母子連の阿弥陀詣でが一本木の阿弥陀堂境内に、町内を巡るように設置されました。
歓喜院の信仰と観光事業がコラボしたもので、当時は相当な賑わいをみせたと言われています。
参考:妻沼町誌:昭和52年:妻沼町役場
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聖天山開扉記念写真4 [その他]

昭和27年に、妻沼聖天山の開扉記念として発行された4枚組の「造りもの」写真紹介4枚目。
右上:浦島太郎。浦島太郎が亀に乗り手をかざしています。隣には、女児と乙姫がいて、周りには魚や亀の模型が釣り下げられています。竜宮城の場面を再現したものと思われます。背景は、魚や海藻の描かれた海底の様子が襖に描かれています。左手には「浦島太郎 本町中 本庄 米福作」と書かれた木札が立てられており、この人形が、本庄市の「米福」によって製作されたことがわかります。「米福」は、3代続いた人形師松崎家の屋号。
左上:八重垣姫。庭の灯篭の上で八重垣姫が角の生えた兜(?)のような物を持ち、踊っています。この様子を右手の武田勝頼が見ています。
八重垣姫は、浄瑠璃「本朝廿四孝(にじゅうしこう)」に登場する姫で、上杉謙信の娘。いいなずけ武田勝頼の命をすくうため,諏訪明神の白狐の助けをかり、凍った諏訪湖を渡ります。
右下:野崎村。かごの前で、左手の女性が踊りながら歌うポーズをとり、右手の男性(久松)が手を挙げています。野崎村は、歌舞伎・人形浄瑠璃の演目『新版歌祭文』(しんばん うたざいもん)の「第三幕 野崎村の段」の通称。内容は、裕福な商家に生まれたお染は、丁稚久松と許されぬ恋に落ちるが、久松にはお光という許嫁がいます。野崎村の実家に戻された久松はお光と祝言を挙げることになりますが、喜ぶお光の目の前にお染が現れる。のどかな田舎家で展開する、若い男と二人の娘の恋模様を描いた物語です。背景は、里山の風景が描かれています。
左下:男性が大小二本の刀を持っていることから宮本武蔵と思われます。刀を抜いた武士に囲まれており、一条下がり松の決闘を再現しているものと思われます。背景は、松林が描かれています。
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星溪園の石 [その他]

熊谷市指定記念物名勝「星溪園」に置かれている石の由来について紹介します。
この石は、庭園の南側のベンチ奥に置かれています。昭和50年3月に、石原地内市道1377号線の工事の際、東武熊谷線の土手(秩父道しるべ付近)に放置されていたものを撤去したもので、それ以前は、小川の石橋として利用されていました。大きさは、162㎝×118㎝、厚み10㎝程の、緑泥石片岩製です。厚み10㎝程で加工された痕跡があることから、石原古墳群の古墳石室の天井石の可能性が考えられ、保存のため、同年5月24日に星溪園に搬入し、庭石として保存しました。
現在この石は、搬入時の破損のためか、少し小さくなっているようですが、星溪園の庭に設置してありますので、探してみてください。
20231114160954159_0001-1-2.jpg昭和50年3月8日
RIMG4806-1.jpg令和5年11月15日
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聖天山開扉記念写真3 [その他]

昭和27年に、妻沼聖天山の開扉記念として発行された4枚組の「造りもの」写真紹介3枚目。
右上:桃太郎。お爺さん、お婆さんが、鬼退治に出かける桃太郎を見送っている場面を再現したもの。お供の猿は、「日本一」と書かれたのぼり旗を持っています。背景は、お爺さんの家と里山の遠景が描かれています。
左上:不明。女性が小刀を振り上げ、跪く女性が傘を広げて防いでいる場面。背景は、屋敷と庭が描かれています。
右下:佐々木小次郎。何の場面かは不明。頭巾を被った2人の武士に向かって、佐々木小次郎が刀を振り下ろしています。右端の女性が、この戦いを見つめています。背景は、月夜の山中が描かれています。ちなみにこの佐々木小次郎は、刀を振りかざすように紐で動く工夫がなされていました。
左下:歓喜院内象の噴水。この噴水は、昭和26年5月5日の児童憲章制定を記念して造られたものです。奥には金網の中を見物する人が写っています。当時境内では、雉や鳩、猿などが飼われていました。
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聖天山開扉記念写真2 [その他]

昭和27年に、妻沼聖天山の開扉記念として発行された4枚組の「造りもの」写真の紹介、2回目。
右上:赤垣源蔵。赤穂浪士における赤垣源蔵「徳利の別れ」の一場面を再現したもの。歌舞伎や講談では、浪士の一人である赤垣源蔵は、兄の塩山伊左衛門の屋敷に暇乞いに行くが、兄は留守であった。女中には討ち入りのことは告げずに「さる西国の大名に召し抱えられることになった」とだけ言って、兄の羽織を出してもらい、兄に見立てて酒を酌み交わし別れを告げるという物語。右側の人物が酒徳利を持っており、赤垣源蔵と思われる。背景は、雪景色の里風景が描かれている。
左上:昭和の弥次喜多。料理屋の前の床几に座って花見をしていた弥次喜多が、右側に座っていた男性が、右端の子供をみて急に立ち上がったため、左側に座っていた男性がひっくり返ってしまった場面を再現したもの。地面には徳利や皿が散乱している。背景は、和洋料理店の店先が描かれている。
右下:浦安の舞。二人の巫女が、扇子を持って神楽(浦安の舞)を踊る姿が再現されている。背景は、紅白の幕が描かれている。
左下:伽羅千代萩(めいぼくせんだいはぎ)。1660年~1671年にかけて、仙台伊達家に起こった紛争を題材にした歌舞伎の「竹の間の場」を再現したもの。「竹の間の場」は、足利頼兼(伊達綱宗)の跡を継いだ鶴千代(綱宗嫡子の亀千代)の乳母・政岡(千松の生母・三沢初子)は、幼君を家中の逆臣方から守るため、病気と称して男を近づけさせず、食事を自分で作り、鶴千代と同年代の我が子・千松とともに身辺を守っている。その御殿に、仁木弾正の妹・八汐、家臣の奥方・沖の井、松島が見舞いに訪れる。鶴千代殺害をもくろむ八汐は、女医者・小槙や忍びの嘉藤太とはからって政岡に鶴千代暗殺計画の濡れ衣を着せようとするが、沖の井の抗弁や鶴千代の拒否によって退けられる、という内容となっています。背景は、襖に竹林が描かれた室内が描かれています。
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