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機銃弾弾頭 [戦跡]

現在整理作業を進めている千代遺跡群の西原遺跡から出土した、長さ4.3㎝、直径1.1㎝程の機銃弾の弾頭を紹介します。
この弾頭は、九九式普通実包と思われ、戦前、日本陸軍が使用した7.7mm弾薬で、九九式小銃、九九式短小銃、九九式軽機関銃用の弾薬として、人馬の殺傷を目的に使用されました。
本資料には、長さ2.2㎝程の施条痕が7本確認され、実際に発射されたものと判断されます。

ちなみに、荒川右岸の平塚新田には、昭和16年頃に熊谷地域の青年学校の実弾射撃場がつくられ、当時の熊谷市役所内に実弾射撃場事務所が置かれ、使用許可を出していました。現在でも、江南台地崖線下に、コンクリート製の監的壕(射撃の着弾点や命中率を確認するための施設)の一部が残っています。
西原遺跡とは約7km程離れており、訓練中の流れ弾が飛んできたにしては距離がありすぎ、なぜ千代地区の西原遺跡から見つかったのかは謎です。
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陶製手榴弾 [戦跡]

現在、千代遺跡群(奈良・平安時代編)の整理作業を進めていますが、姥ヶ沢遺跡の土壙から出土した陶製品片を紹介します。
この資料は、陶製の手榴弾で、第二次世界大戦末期に日本海軍で製造された手榴弾です。通称は四式陶製手榴弾です。終戦末期の金属資源の不足に対応し、日本海軍が、それまで鉄で製造されていた手榴弾の材質に陶器を使用し製造したものです。
開発は名古屋の陶器会社が最初であるとされ、その後、有田や波佐見といった瀬戸物生産地で量産が行われるようになりました。各地で生産された陶製手榴弾は、火薬や信管など起爆装置を充填するため、埼玉県の陸軍造兵廠川越製造所とその下請け工場である浅野カーリット埼玉工場に運ばれました。
完成品は硫黄島の戦いや沖縄戦に投入され、硫黄島や沖縄で不発弾が採集されています。
終戦時、浅野カーリット埼玉工場には600トンの未完成品があり、今でも川越市を流れるびん沼川の川原には、廃棄された大量の陶製手榴弾の陶片を見ることができます。元従業員によると、破砕した手榴弾を自宅の庭に撒いたり、庭の花壇に流用したりしたといわれています。(参照:wikipedia「四式陶製手榴弾」)
この陶製手榴弾が、なぜ姥ヶ沢遺跡から出土したのかはわかりませんが、戦後従業員により持ち出されて二次利用された後、廃棄されたものかも知れません。この破片は、当時の日本の窮状と混乱を伝える資料です。
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