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小川専蔵の彫刻5 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介5回目。今回は、八王子市正福寺です。
本堂唐破風と向拝虹梁周辺に精緻な彫刻が施されています。虹梁の上は、童子が太鼓叩き、笛を吹く獅子舞の場面が彫られており、左手には、「彫工 小川専蔵義長」と刻まれています。
あきる野市阿伎留神社の四神を彫った翌年の天保11年(1840)に手掛けたものです。
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小川専蔵の彫刻4 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介4回目。今回も、あきる野市大悲願寺観音堂です。
堂内内陣の欄間彫刻「龍」「天女」です。
龍の欄間彫刻の裏側には「彫工 小川専蔵 同 金蔵 天保六歳」と墨書されています。
天女の欄間彫刻の裏側には「武州大里郡熊谷在 川原明戸邑 彫工彩色 無畏堂小川氏 専蔵義長 慶三良 専之助 天保十三壬寅年」と墨書されています。
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大悲願寺3-1.jpg龍裏墨書
大悲願寺4-1.jpg天女裏墨書

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小川専蔵の彫刻3 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介3回目。今回は、あきる野市大悲願寺観音堂です。この観音堂は、寛政6年(1794)に建立され、天保5年(1834)~天保13(1842)に羽目板などの彫刻部分が付け加えられており、平成17年(2005)1月から平成18年(2006)12月にかけて半解体修復工事が行われ、彫刻部分に鮮やかな色彩がよみがえりました。
この羽目板彫刻の一部を手掛けたのが小川専蔵です。観音堂入口右側の羽目板彫刻「地獄図」には、生前の善悪の行に裁きを与えている閻魔、鬼に、生前の悪行を天秤で量られたり、ヤットコで下を抜かれたり、釜ゆでにされる場面が彫られています。
この羽目板左下には、「彫工 彩色 小川専蔵義長」と刻まれています。
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小川専蔵の彫刻2 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻の紹介2回目。今回は、東京都あきる野市上代継明神社本殿です。
上代継神社は、祭神は天照皇大神で、天正年間(1573~92)二城山城主、大石遠江守道俊が中丸の内の旧地より現在地へ遷したと言われています。
本殿左の胴羽目彫刻は寿老人、右の胴羽目彫刻は、神功皇后の玉島汀鮎釣りで、神功皇后が三韓出兵の際、肥前松浦玉島河で裳の糸を使って鮎を釣り、戦勝を祈願している様子です。この故事によって、アユは魚に占という字を当てる事になったといわれています。後ろには竹内宿禰(伝説上の忠臣)が控えています。左下隅に「彫工 彩色 小川専蔵義長」と刻まれています。弘化3年(1846)の墨書も確認されています。
IMG_4488.JPG本殿西側胴羽目
上代継神社3-1.jpg本殿東側
DSC07072-1.JPG本殿東側胴羽目隅


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小川専蔵の彫刻1 [熊谷の名工]

江戸時代後期に、現熊谷市川原明戸に生まれた彫刻師の小川専蔵の彫刻について紹介します。
今回紹介するのは、東京都あきる野市阿伎留神社の四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)です。
この阿伎留神社の四神は、祭礼期間中、御仮屋を守護するものとして、支柱の上に祀られていたもので、平成26年に本体と台座の修復が行われました。四神本体には、大正9年の修復時に漆や金箔が貼られていましたが、今回の修復では全て取り除き木地像としました。
四体は松材で造られており、主要な部分を一材から彫り出し、足・尾・翼などは別材で接合しています。
平成26年の修理に際し、玄武の台座の底板から、「天保十年(1839)河原明戸邑 小川専蔵藤原義長」の墨書が確認されています。
阿伎留神社4.jpeg青龍
阿伎留神社5.jpeg朱雀
阿伎留神社3.jpeg白虎
阿伎留神社2.jpeg玄武

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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.7 天昌寺 [熊谷の名工]

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 塩沢の牧之(ぼくし)通りから北西に車で5分ほどのところにある天昌寺は、越後の文人・鈴木牧之が著した『北越雪譜』初編中之巻「寺のなだれ」の舞台にもなっている曹洞宗の古刹です。平安時代中期に、恵心僧都源信により創建され、寛元年間(1243~)には、北条時頼により、越後観音礼所に定められ、十二番霊場として益々観音信仰が広まったといわれています。延徳2年(1490)堂守が没し無住となり、堂宇存続のため雲洞庵から住職を請し復興しました。明暦3年(1657)堂宇が焼失し、現在の本堂は万治2年(1659)に再建されたものです。銅板葺き、入母屋造りで桁行は10間、入口の両脇には仁王像が構えます。
 本堂に入ると正面横並びに10枚の欄間彫刻がはめ込まれています。このうちの7枚を小林源太郎が手掛けました。左手から「子引き獅子」、「唐獅子牡丹」、「盧教仙人」、「大真王夫人と竜」、「祝鶏老翁」、「静玄夫人と麒麟」、「梅福仙人と鳳凰」。
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「子引き獅子」
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「唐獅子牡丹」
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「盧教仙人」
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「大真王夫人と竜」
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「祝鶏老翁」
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「静玄夫人と麒麟」
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「梅福仙人と鳳凰」

 厚さ30㎝のケヤキ板に中国の古事に由来する狩野派の絵を浮き彫りにした作品です。素木の彫刻に所々、赤、黒、緑の彩色が施され、奥行きのある彫りは躍動感に溢れています。「子引き獅子」の手鞠や「祝鶏老翁」の鳥籠には、部材を籠状に彫り抜いて内部まで立体的に表現する「籠彫り」という彫刻技法が施されており、非常に精緻で、鳥籠に至っては籠のなかの鶏の様子まで再現されています。彫刻の裏面には、嘉永7年(1854)の墨書銘が残されており、源太郎54歳の作とされます。源太郎は、この後、榛名神社(群馬県高崎市)の双龍門の彫刻を完工し、再び越後に戻って雲蝶との共作を残しています。源太郎が手掛けた天昌寺本堂の7枚の欄間彫刻は、平成4年に塩沢町の文化財に指定され、現在は南魚沼市指定文化財となっています。
 平成16年に発生した新潟県中越地震で、この地域は震度5強を観測しています。天昌寺では、この地震により、一部の欄間彫刻が落下し、静玄夫人の首が折れる等の破損の被害を受けたといいます。彫刻はその後修復され、源太郎の功績は今日まで引き継がれています。



参考文献
・木原 尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』
・飯盛山天昌寺パンフレット

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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.6 青木酒造 [熊谷の名工]

 新潟県南魚沼市塩沢の牧之(ぼくし)通りは、旧塩沢町の中心市街地にあり、かつて三国街道沿いの宿場町として栄えた歴史ある通りです。江戸時代、雪国越後に暮らす人々の生活を記した「北越雪譜」の著者・鈴木牧之(ぼくし)生誕の地であり、その名にちなんで名付けられました。道路改良を機に、雪国の歴史と文化を活かすまちづくりをめざして、雪国特有の雁木の町並みの風情が再現されました。
 この牧之通りのなかほどに享保2年(1717)創業の老舗酒蔵、青木酒造があります。店舗の外には銘酒「鶴齢」の文字が入った看板が掲げられており、その縁を精緻な龍の彫刻が飾ります。この彫刻は、かつて青木家の店舗前に置かれていた小林源太郎作の立て看板の彫刻の一部を再利用したものです。台風で倒れ、破損してしまいましたが、解体して看板の部位だけは残し大切に保管されてきました。
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銘酒「鶴齢」の文字が入った看板装飾

 店内に入ると縦長の額に入った当時の立て看板の見取り図を目にすることができます。見取り図の右端には「けやき立てかん者んの圖(けやき立て看板の図)」と書かれ、看板の中央には『薄荷圓(はっかえん)』の文字があります。江戸時代、この地域では薄荷が多く自生しており、冬の気候を利用した蒸留技術で薄荷を精製し、商品名を『薄荷圓(はっかえん)』として販売していました。青木家もかつて薄荷を商っており、この立て看板は『薄荷圓』をPRするためのものでした。
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立て看板見取り図

 店内には、立て看板の持ち送り部分の彫刻が当時と同じように裏表を合わせたかたちで展示されています。とても大きく重厚感のある彫刻に圧倒されます。またその他の細かな彫刻の一部も店内で大切に保管されていました。
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持ち送り彫刻
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その他の細かな彫刻

 青木酒造では、今でも薄荷油を販売しています。薄荷油は、虫除けや消臭、暑さ対策など様々な用途があるようです。最近では、マスクにつけて薫りを楽しむ人もいるそうです。店員のお姉さんが「よかったらつけてみてください。」と試供品を薦めてくださいました。手の甲に油を垂らしてのばすと、スッと抜けるようなさわやかな香りが心地よく鼻の奥に広がりました。


参考文献
・木原 尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』


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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.5 龍谷寺 [熊谷の名工]

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 龍谷寺は、新潟県南魚沼市大崎に所在する曹洞宗の寺院です。どっしりとした重厚感のある本堂は、宝暦10年(1760)に再建されたものです。現在も本堂の茅葺屋根はそのままに、鉄板で葺いている他、そのほとんどは建築当時のままで、豪雪地帯における代表的な禅宗様式を伝える貴重なお堂です。
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 本堂の右手には、古代インドの寺院建築を彷彿とさせる観音堂が構え、堂内には戦後日本の復興を祈念して、ハワイの日系移民の浄財によって建立された十一面観音像がお奉りされています。本堂の左奥にある妙光堂には、釈迦如来や十六羅漢像など百二十余体の仏像が安置され、厳かな雰囲気が漂います。
 観音堂左手の渡り廊下を進み、本堂に入ると透かし彫りの欄間彫刻が奥まで続いています。手前から獏、麒麟、唐獅子牡丹が2面。さらに室内の欄間彫刻には2面にわたって得誠和尚の行履を伝える様子が表現されています。その欄間の裏面には、葡萄の木に朝顔の蔦が絡み合い、傍らで蝶が舞う落ち着いた品のある彫刻が彫られています。これらの彫刻は、雲蝶の手によるものです。堂内は撮影禁止のため、ここではその様子をご紹介することはできませんが、欄間の枠から飛び出す勢いのある彫刻や余白を上品に活かした構図から、雲蝶の彫刻技術と芸術性の高さを感じとることができます。
 また、本堂の奥2面の欄間には鳳凰と唐獅子牡丹の彫刻が施されており、これらは源太郎の最後の作と伝えられています。源太郎は、この彫刻を手掛けた後、文久元年(1861)初冬、上州玉村(現群馬県玉村町)において63歳で亡くなりました。雲蝶が手掛けた「葡萄と朝顔」の欄間彫刻には、壬戌(文久2年)晩春の雲蝶の署名が残されています。雲蝶は当時49歳。源太郎と過ごした在りし日に思いを馳せながら、雲蝶はこの彫刻の制作に挑んだのかもしれません。

参考文献
・木原 尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』
・八海山龍谷寺パンフレット
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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.4 西福寺 [熊谷の名工]

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 石川雲蝶の作品群の中でも特に有名なのが、新潟県魚沼市に所在する西福寺開山堂の彫刻です。開山堂は、西福寺二十三世大龍和尚の発願により安政4年(1857)に建立されました。様式は鎌倉時代の禅宗仏殿構造、屋根は茅葺きの二重層で上層は入母屋造り、正面には唐破風向拝を有しています。向拝及び堂内の彫刻はすべて雲蝶によって手掛けられました。
 向拝正面の唐破風下には、鳳凰が舞い、烏天狗が守護し、虹梁の波の彫刻は躍動感に満ちています。左右の柱には、獅子と象の木鼻彫刻が施され、目にはギヤマン(ガラス)が使われています。
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向拝正面 烏天狗と波の彫刻
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向拝 獅子と象の木鼻彫刻
 向拝の彫刻の素晴らしさもさることながら、堂内を一杯に埋め尽くす内部の彫刻群は息をのむ迫力で、観る者を圧倒します。雲蝶の作品は物語性が強く、開山堂内の彫刻は曹洞宗開祖の道元禅師の伝記がモチーフとなっています。三間四方の吊り天井に施された透かし彫りの大彫刻は、道元禅師が宋に修業した際、天童山に行脚の途中、盧山で猛虎に出会ったときの物語です。岩絵の具で、極彩色に彩られた彫刻は、当時のままの色彩で、観る者を魅了します。このほか周囲を囲む欄間彫刻や梁上の彫刻にも、道元禅師の物語が彫られ、雲蝶の作品が堂内にぎっしりと詰め込まれています。
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開山堂堂内※7月~9月に限り、撮影可能。
 また、雲蝶は木彫だけでなく、絵画や石彫などにも優れた才能を発揮しました。西福寺の本堂では、雲蝶が手掛けた襖絵や書院障子なども目にすることができます。雲蝶が手掛けたこれらの作品は、「開山堂の雲蝶彫物附雲蝶筆欄間二面襖絵十六面」として昭和48年(1973)に新潟県の文化財に指定されています。

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 雲蝶の作品で有名な西福寺ですが、実は小林源太郎もこの地に足跡を残しています。開山堂の隣に高くそびえる鐘楼。この鐘楼の彫刻を手掛けたのが源太郎です。開山堂より7年早い、嘉永3年(1850)に建立された鐘楼の四方には、それぞれ蟇股が備わり、その左右を精緻な彫刻が飾ります。東側には亀と水鳥、西側には鷲と小鳥・唐獅子と牡丹、南北両側には源太郎が得意とした龍の彫刻が施されています。天井には、円形状に鶴と雲の彫刻が施され、外側四方に配された象の木鼻彫刻も見事です。
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東側 亀の彫刻
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天井 鶴と雲の彫刻

 梵鐘は、新潟の土屋忠左衛門の鋳造で、三十三体の観音像が模られています。この梵鐘には、天皇のお許しの証である『勅許(ちょっきょ)』の銘があることから、戦時中に重要美術品として認められ、供出除外と指定されてお寺に戻された名鐘です。
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「越後國蒲原郡新潟住 御伊鑄物師 土屋忠左エ門」の銘が刻まれた梵鐘
 

参考文献
・木原 尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』
・小出町教育委員会『小出町史 上巻(序説・原始・古代・中世・近世・民俗)』
・曹洞宗赤城山西福寺パンフレット
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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.3 都野神社 [熊谷の名工]

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 新潟県長岡市与板町に所在する都野神社は、与板の総鎮守として古くから信仰されている神社です。直江兼続が与板城を築いた際、九州の宇佐八幡宮の分霊を勧請したことから、八幡宮とも称されています。
 天保7年(1836)の大火により社殿が焼失し、8代藩主井伊直経がその再建にあたりました。寄進者には大阪屋などの有力商人の名が連なります。
 現存する社殿は再建当時のもので、天保11年(1840)に本殿、嘉永元年(1848)に拝殿がそれぞれ造営されました。これら社殿の彫刻を一身に負い手掛けたのが小林源太郎です。都野神社には、天保10年(1839)に書かれた源太郎直筆の「八幡宮御本社彫物使用」、いわゆる今でいう見積書が残っており、当時の貴重な史料として大切に保管されています。
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 本殿は、保護のため鉄骨の覆屋に覆われ、拝殿から本殿にかけての道は石囲いが設置されており、中に入ることはできません。彫刻の様子は、その左右から遠目で確認することができます。本殿は、三間社流造、正面千鳥破風付で、正面に唐破風の向拝を設けます。向拝兎の毛通しには鳳凰、虹梁上には子引きの龍、木鼻には獅子の彫刻が施されています。大羽目彫刻はなく、一見シンプルな造りですが、脇障子や軒下部分、高欄下部には精緻な彫刻が施されています。
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本殿正面唐破風向拝廻りの彫刻
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軒下の彫刻と組み物

 また、拝殿は入母屋造りの銅板葺きで、本殿と同様、正面千鳥破風付、正面に唐破風の向拝を設けます。正面虹梁の上には、波に子引きの亀、左右の柱上部には獅子と獏の木鼻彫刻が施されています。
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波に子引きの亀
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獅子と獏の木鼻彫刻

 都野神社社殿は、江戸時代後期の社殿建築の遺構で彫刻などの意匠が優れていることから昭和47年(1972)に長岡市の文化財に指定されています。


参考文献
・木原尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』


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