SSブログ

新本堂での初めての施餓鬼法要ー源宗寺「平戸のおおぼとけ」ー [その他]

F60048A7-71CC-458A-8D1A-B9BDFCF3FBB6.jpeg237CF36A-1B66-4189-8580-D9F26E45489C.jpeg
 先の大戦から77年目の終戦の日である昨日8月15日、熊谷市指定有形文化財「木彫大仏坐像」(平戸のおおぼとけ)を擁する再興なった源宗寺本堂で施餓鬼法要が営まれました。昨年の夏は本堂建築中であり2年ぶりの平戸源宗寺での施餓鬼法要です。多くの源宗寺護持会の皆さんが参加されました。
 熊谷市は、中島飛行機の部品製造の重要拠点、分配ネットワークの主要基地であったことから、終戦当日の昭和20年8月15日の未明にかけアメリカ軍の空襲を受けました。太平洋戦争最後の空襲と言われています。
 源宗寺のある熊谷市東部地区には、中島飛行機向けに航空機用ピストンリングを製造していた理研工業熊谷工場があり、爆撃されました。
 昨日、施餓鬼法要を営んでくださいました岸住職の東竹院大伽藍も空爆により灰塵と化し、源宗寺南方2~300m程に位置する超願寺も空襲で焼失したとされています。
 しかしながら、理研熊谷工場の東方4~500mと至近にある源宗寺は奇跡的に焼失を免れました。
 熊谷大空襲による被害は、市街地の74%にあたる35万8千坪、全戸数の40%に相当する3,630戸が焼失し、全人口の28%にあたる1万5千人が被災し、うち266人が死亡したとされています。
 “平戸のおおぼとけ”にかかる熊谷市の文化財現状調書には、その空襲の7年後の昭和27年に、檀徒によって堂宇の改修を行い面目を改めた、とあり、昭和29年11月3日、熊谷市の有形文化財に指定されています。
 当時の源宗寺檀徒の皆さん、平戸地区の人々の使命感や文化的財産に託された意味に思いを馳せる一日となりました。
9E71A46C-66B4-44FD-987F-BFD5700E15D7.jpegA81A0808-5255-47A3-9025-D0CA10214380.jpeg
(参列する源宗寺護持会の皆さん)     (挨拶をする岸住職)
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。