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笑牛 [近世]

建部涼袋が、熊谷を訪れた際に宿泊したのが門下の笑牛(長栄)宅であることを紹介しましたが、この笑牛について紹介します。
笑牛(1728-1796):建部涼袋門下の俳人、商人。須賀市左衛門長栄。笑牛と号す。別号廿日庵。熊谷宿で油商を営む。
明和3年(1766)10月4日に江戸を立った建部涼袋は、10月7日に熊谷を訪れ、笑牛宅に滞在しており、この時の紀行が『三野日記』に記されています。『俳諧川柳』宝暦7年、『俳諧田家の春』宝暦8年、『春興帖』宝暦9年、『俳諧はしの東』宝暦11年など涼袋系俳書に多く入集しています。小林一茶の『知友録』にも掲載されています。
寛政8年(1796)造立の星渓園芭蕉句碑「春もやや 気色ととのふ 月と梅」の碑裏に、「雪叩(野口秀航)」「官鯉(竹井新右衛門)」と共に「笑牛」の名も刻まれています(下写真)。
寛政8年(1796)68歳で没す。

参考:内野勝裕「熊谷の俳諧」『熊谷市史研究』第8号:平成28年:熊谷市教育員会
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建部綾足:三野日記2 [紀行]

建部綾足の『三野日記』における、熊谷の石上寺以外の記述を紹介します。
明和3年(1766)10月7日に熊谷を訪れた涼袋は、長栄(須賀市左衛門:笑牛)宅に宿泊します。夜になると荒川に近い長栄の家には荒川の川原風が吹いて来て、鴨の鳴く声が聞こえます。中山道に近いため、旅行人が「ああ寒い」と言って通り過ぎました。
8日には、野口雪江の母が最近亡くなったと聞き、追悼の短歌「たらちねの ははある身にも 老らくの 来るはかなしと おもふなりけり」と片歌「寒き夜に 肌したひしも おもふべし」を贈りました。この晩には、石川という場所で火事があり、風が強かったため家が7軒焼けたと記しています。
そしてそこに12日程滞在し、鯨井という男の石上寺の話を聞き、18日に本庄から両毛地方を遊歴し、12月3日、右目を病んで村岡に戻り5日間滞在しています。
(前略)
「七日、雨なごりなく晴て、日かげいとけざやかなり。くまがやの堤を行とて、見れば、冬の花どもいとはかなげにさけり。
くまがやの 道のくまびに さく花を 折てぞしぬぶ ひとりし行けば
さて、熊谷なる長栄がりとふに、とどめられてやどる。夜もふけぬれば、川原風のおとづるる方より
鴨ぞ鳴く 霜おくべしと 思ふ夜に
此夜はいもねず。
大路のいとちかきに、旅行人にやあらむ、「あなさむや」などいひすぐ。
行駒の おときこゆなり 夜や明ぬらむ
八日、はゆまのたよりありとききて、けさよみつる歌ども、妹がりへとて人につく。長よし物したまひて、其友なりける中睦が父のかくれすむなるいほりに、いつまでもあれとてすえたまひけり。此庭に山橘のおほく植てはべりければ、
やま人に こひてうえけむ あしびきの 山たちばなを 見るがたのしき
「かねてむつびし雪兄ぬしはいかに」と問ひしに、
「近き比母なくなりたまひてこもり居れり」と聞て、いたみてよみつかはす。
たらちねの ははある身にも 老らくの 来るはかなしと おもふなりけり
片歌
寒き夜に 肌したひしも おもふべし
此夜、子ふたつばかりに、石川といふ所より火出て、家七つなむやけぬ。風のはげしかりつるを、
星や飛ぶ 紅葉や散る ともゆる火の」
(中略・石上寺の話・本庄・両毛地方遊歴)
「たどるたどる村岡なる雨皐、かねてちぎり置しかばとふに、をちつ日、おほやけの事につきて江戸に出て、あらず。そが友可了、むかへてやどらす。圭語・岸艪・其鉤などいふ者来たりて、かたらひなぐさめけるほどに、ま薬などたうべて、次の日もとどまる。熊谷なる中睦来る。
五日、おなじ所の長よし、かたまごしの事などものしきこえて、「目の事はかろがろしき事にもあらじ。いづこへもよらで、ただにかへれよ」などきこゆるを、うべうべしくおもひぬれば、「今朝なんまかむづべし」と云。此家のむかひに御鷹かひの来て宿りたるが、をちこち猟しありきなどするを、ほのかに見て、
我にこせ 鷹のとき目は 罪ふかし
人々おくりす。其夜、桶川てふうまやにやどる。
(後略)
下の写真は、大正期の熊谷本町の中山道の様子を写した絵葉書です。
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令和5年文化財防火デー火災防御演習 [普及事業]

 令和5年1月22日(日)、熊谷市妻沼の妻沼聖天山で令和5年文化財防火デー火災防御演習が開催されました。「文化財防火デー」とは、昭和24年1月26日に、法隆寺金堂の火災により重要な文化財が失われたことを契機に、文化財の保護を目的として昭和30年に制定されたもので、この日を中心に、文化財関係者や消防機関、地域住民が協力して、全国各地で消防訓練が行われています。
 本市でも毎年、市消防本部と市教育委員会の共催で消防訓練を実施しており、今年も妻沼聖天山の協力のもと、地元の消防団や近隣住民で組織される聖天山防災協力隊などが参加し、演習が執り行われました。
 聖天山境内に所在する国登録有形文化財「歓喜院籠堂」から出火し、国宝「歓喜院聖天堂」などへ延焼する危険性があることを想定して、放水銃での消火訓練や文化財の搬出、救命訓練などが実施されました。
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(左)放水銃による消火訓練         (右)文化財の搬出

 妻沼聖天山に所在する多くの文化財が地域の方々の協力によって守られていること、文化財が国民共有の貴重な財産であることを再認識することができました。


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権田愛三『実験 麦作栽培改良法』 [近代]

権田愛三が大正12年に著した『実験 麦作栽培改良法』を紹介します。
この本は、権田愛三が自費出版したもので、数千部を全国に無償配布しました。
内容は、愛三が研究した麦作法の紹介で、良い麦を作るには、
・選別した良い種子を適期に広幅で薄く蒔く
・麦の生育初期~育成中期にかけ、5~6回土入れを行う
・良質の完熟たい肥を十分に施し、化学肥料を補充的に施用する
・本葉出た時、土入れの度に麦踏みを行う
等が指摘されています。
また、序には、「(前略)皆さんには文章を御覧になるのでなく真に行い方を御覧になる御つもりで読んでいただきたいのであります。
(中略)見るかげも無き卑著が皆さんに幾分たりとも資すところがありますれば不肖の幸之より甚だしいことはありません。」と記され、
注意として、
①書中不明の箇所は直接著者に宛て御質問をねがいます。著者は何時たりとも確答を與へます。
②百聞は一見に如かずと申す諺のとおり、書中に於て万善を期すつもりでありましても実際真味といふところはとても文字に顕わせるものではありません。故に皆さんに差支いありませんでしたなれば、私の所まで御足労をねがいます。私は何時たりとも実地につきまして説明の労を取ります。
と記されており、愛三の、麦作にかける情熱と人柄が伝わる文章となっています。
この本は、熊谷図書館に所蔵されていますので、閲覧のみ可となっていますが、興味のある方はご覧ください。
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池上遺跡発掘体験のお知らせ [お知らせ]

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1 実施日時   
令和5年2月25日(土)13時30分~15時30分
※同日午前に見学会が開催されます。
※予備日なし。
※新型コロナ感染拡大状況を踏まえて、中止する場合
があります。

2 実施場所   
池上遺跡発掘調査現場
((仮称)道の駅「くまがや」整備事業地内)

3 主催    
熊谷市産業振興部東部地域開発推進室 
熊谷市教育委員会(江南文化財センター)

4 参加者(熊谷市内在住の小学生とその保護者)
⑴事前予約制(抽選)です。
⑵当日は、マスク着用・消毒・検温を徹底し、新型コロナ感染症対策を行
います。

5 応募方法
⑴ 市HP応募フォーム(以下①参照)または、はがきで申込み。
 ※同日午前開催の見学会と間違わないように注意してください。
  (応募先が異なります。)

6 募集期間
⑴ 令和5年1月23日(月)~2月10日(金)
 ※はがきの場合には、2月10日(金)必着
 ※応募者多数の場合は、抽選となります。
 ※お預かりした個人情報はご案内のみ利用いたします。
 ※募集期間終了後、2月21日(火)までに応募者全員に参加の可否をお知らせいたします。

7 駐車場 
車での来場は可能です。

8 その他
⑴中止の場合は、当日の朝までに応募フォームで登録いただいたメールアドレスにお知らせいたします。
⑵ 詳細については、市HP(東部地域開発推進室)をご覧ください。
HP
https://www.city.kumagaya.lg.jp/about/soshiki/sangyo/toubutiikikaihatus/oshirase/haxtukututaikenn.html

①発掘体験応募フォーム
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池上遺跡見学会のお知らせ -弥生~古代の人々の暮らし- [お知らせ]

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1 実施日時   
令和5年2月25日(土)午前9時30分~11時30分
※同日午後に発掘体験が開催されます。
※予備日なし。小雨決行。
※新型コロナ感染拡大状況を踏まえて、中止する場合
があります。

2 実施場所   
池上遺跡発掘調査現場
((仮称)道の駅「くまがや」整備事業地内)

3 主催     
熊谷市教育委員会(江南文化財センター)
熊谷市産業振興部東部地域開発推進室

4 参加者
⑴ 事前予約制(応募者多数の場合は、抽選)です。
⑵ 当日は、マスク着用・消毒・検温を徹底し、新型コロナ感染症対策を行
います。

5 応募方法
⑴ 市HP応募フォーム(以下①参照)または、はがきで申込み。
  ※同日午後開催の発掘体験と間違わないように注意してください。
   (応募先が異なります。)
  ※はがきには、氏名(ふりがな)・住所電話番号希望見学時間
(9:30 10:00 10:30 11:00 11:30のうち第2希望まで)を記
入してください。
  ※一度に複数人の申し込みをする場合には、参加者全員の氏名を記入し
   てください。

6 募集期間
⑴ 募集期間 令和5年1月23日(月)~2月10日(金)
   ※はがきの場合には、2月10日(金)必着
   ※お預かりした個人情報は御案内のみに利用します。
   ※募集期間終了後、2月21日(火)までに応募者全員の方に参加の可
    否をお知らします。

7 駐車場  
車での来場が可能です。


8 その他
⑴ 池上遺跡は、弥生時代から奈良・平安時代にかけての集落であり、特に弥生時代の集落として著名な遺跡です。今回は、弥生時代から古代にかけての集落跡が発見されています。この機会に是非御覧ください。
⑵ 中止の場合は、当日の朝までに応募フォーム登録メールアドレス及び熊谷デジタルミュージアム「文化財日記2」でお知らせします。
⑶ 詳細については、熊谷市デジタルミュージアム「文化財関連施設」→「熊谷市立江南文化財センター」→「イベント・テーマ情報」→「池上遺跡見学会[お知らせ]」をご覧ください
HP 
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/eventtheme/ikegamiiseki20230225.htm
 
①見学会応募フォーム
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麦翁 権田愛三 [普及事業]

【麦翁 権田愛三】
令和4年度映像公開ライブラリー出張上映会・講演会を下記のとおり開催します。

日 時:令和5年2月17日(金)14:00~16:00
場 所:熊谷市立熊谷図書館4階第1講座室:熊谷市桜木町2丁目33番地2
定 員:48人
参加費:無料
申 込:令和5年2月1日(水)より電話受付 先着順 電話048-525-9463(市立熊谷図書館美術・郷土係)
内 容:第1部:映像上映「埼玉麦物語」30分、「郷土めぐり 熊谷市」10分
第2部:講演「麦翁 権田愛三」 講師:権田宣行氏 権田愛三の玄孫にあたる権田宣行氏が、権田愛三の業績や人柄について、エピソードを交えながら、わかりやすく解説します。

明治から大正にかけて、麦踏みや二毛作など麦の増産の研究に取り組んだ武蔵国東別府村(現熊谷市)出身の権田愛三について、より深く知ることのできるイベントです。皆様の参加をお待ちしています。
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建部綾足:三野日記 [紀行]

建部綾足(たけべあやたり:1719-1774)は、江戸時代中期の俳人、小説家、国学者、絵師。別号に、葛鼠・都因・凉袋・吸露庵・寒葉齋・孟喬・毛倫・建長江・建凌岱。俳諧を志し、師は、蕉門の志太野坡(1662-1740)、ついで、伊勢派の彭城百川(1697-1752)、和田希因(1700-1750)、中森梅路(■-1747)。
綾足は、江戸中期(宝暦・明和年間)の熊谷俳壇に大きな影響を与えました。笑牛(須賀市左衛門:長栄)、雪江(野口秀航)の師で、明和3年(1766)10月4日に江戸を立ち、10月7日に熊谷を訪れ、笑牛宅に滞在しています。この時の紀行が『三野日記』に記されています。
この中で、鯨井という男が語った奇譚が記されています。

「鯨井といふをとこあり。かれがいはく、「こはそらごとにあらず。此所に石上寺といふ寺の藪原より、竹の、もとすえに頭の髪なむおひ出たるが、しかも四もと五もと侍り。おのれも一もと得つ」と。所の人はかねて見もし聞もしつれば、さもおどろかず。され先ほしくなりつれば、「かれ得させよ。かならずかぐや姫などこそかくれおはさうずるものなれ。そらへとてにげ給はぬやうにつつみもて来よ」といへば、「さらばをしむべきものなれど、色ごのみたちのよばひわたり給はむも、いとうるさかるべし」とて、やがて得させつ。さて見れば、ほそき竹の根より七寸ばかり置て、そぎたる口より、黒髪のつやつやしき五すぢ六すぢぞおひ出たえる、いとあやしき。長栄、「ためしてや見む」と、一すぢぬき出して、火に焼ば、けがらひあるかをりまでも人の頭なるに違はず。「こもあることかは」とて、はじめて友がきどものくしくなむおもへるさまなり。」

大意は、「鯨井という男が、石上寺の藪から、竹の根元から髪の毛の生えたものが4つ5つ出た。おれも一つ持っていると話した。そこに居た人はすでに知っていたのか驚かなかったが、それを見てみたくなり、それは必ずかぐや姫などが隠れているから、空に逃げないように包んで持ってくるようにと言った。やがてその男が持ってきたものを見ると、細い竹の根から七寸程の所から、つやつやした黒髪が5・6本出ていた。とても怪しい。長栄(笑牛)は、試してみると言って、一本抜いて火で焼くと、間違いなく髪の毛の臭いがした。こんなことがあるとはと、初めて皆、不快な思いをした。」
残念ながらかぐや姫は出てきませんでしたが、不思議な話です。

この『三野日記』は、熊谷図書館蔵『建部綾足全集』第5巻:国書刊行会:昭和62年刊に収録されていますので、興味のある方はご覧ください。
下の写真は、熊谷図書館蔵の大正14年刊の絵葉書「熊谷名勝 石上寺観世音」です。
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三浦無窮 [近世]

1月9日の記事で、小林一茶が、熊谷を訪れた際、三浦無窮の家に泊まったことを紹介しましたが、今回はその三浦無窮について紹介します。
三浦無窮(1737-1816):医家。三浦家は医名を代々玄昌と名乗りました。一茶が寛政3年4月12日に宿泊した玄正(玄昌)は、この三代目無窮です。祖先道円が医をもって壬生城主阿部早侯(三代忍城主豊後守忠秋)に仕え、忍城転封に従って移り、祖父玄昌のとき侯の口添えで熊谷に医を開業しました。医名玄昌、諱は真、字は伯誠。青渓居士とも称し、後年無窮居士と改めました。医術を長谷川玄通、経義を江子園、稲垣維明に学び、儒学者としても高名で、和算家としても知られました。
かつて桐生の素封家で死亡とされて入棺した人を往診し、まだ命脈あると治療を施し、蘇生させたので、家人は驚喜し、その謝礼を尋ねたところ、固く辞して「立派の庭園ゆえ、時々見せてもらえればよい」云々の伝えがあります。
また、荒木某という貧家の主が臨終に際し、子女の将来を憂い苦しみもだえた時、「子女の教育はひきうける」といったので某は安心して冥したと言われています。
文化年間(1804-1818)に著した『汚隆亀鑑』には、熊谷宿の牛頭天王の祭礼には、御制札(札の辻)の西方に、祇園柱という白いサラシがまかれた柱が立てられていたが、今はそれが何のために建てられていたのか知らない者が多いと記されています。
また、書家の野口雪江とも親交があり、雪江の墓誌に「文質具に備わり、知徳両つながら修め、花あり実ありて、功業朽ちざらん」と刻んでいます。
主な著に『医事内言』『隠居放言』『道徳経古義』『無窮詩文集』『みちびき草』『汚隆亀鑑』など。
下の写真は、国立国会図書館デジタルコレクション『汚隆亀鑑』です。
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参考:
『熊谷人物事典』日下部朝一郎:昭和57年:国書刊行会、
『熊谷郷土会誌』第2号:昭和12年:熊谷郷土会、
『新編埼玉県史 資料編14』「汚隆亀鑑」近世5:平成3年:埼玉県
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熊谷市指定有形文化財「木彫大仏坐像」(平戸の大仏)一般公開 [お知らせ]

 令和5年1月1日~3日にかけて、市内平戸の源宗寺では新年の一般公開が実施されました。お正月ということもあり、地元の方を中心に家族連れで参拝される方が多く、3日間で延べ96名のご来場がありました。
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 堂内には新たに、源宗寺本堂保存修理委員会によって展示パネルが設置され、訪れた人たちは興味深そうに見ていました。
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 源宗寺では、今後も毎月2回の一般公開を継続して実施していく予定です。この機会に是非お越しください。

開催日時
令和5年 1月15日(日) 午前10時~午前12時
令和5年 2月 5日(日) 午前10時~午前12時
    2月19日(日) 午前10時~午前12時
令和5月 3月 5日(日) 午前10時~午前12時
3月19日(日) 午前10時~午前12時

場所
源宗寺本堂(熊谷市平戸644)

交通
JR熊谷駅から徒歩25分。
自動車でお越しの際は熊谷市平戸644へ。本堂裏に駐車スペースあり。

※薬師如来像の薬壺や観世音菩薩像の蓮華、宝冠、胸飾りの復元は、令和5年4月の工事を予定しております。引き続きご支援の程宜しくお願い申し上げます。

問い合わせ
源宗寺本堂保存修理委員会
事務局 山川宏之(山川会計事務所内)
〒360-0015 熊谷市肥塚887-6
TEL:048-526-5874  
FAX:048-523-7525
URL:https://oobotoke.com/

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