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05 藤間流日本舞踊藤蓉会【第16回地域伝統芸能今昔物語 熊谷文化創造館さくらめいと 太陽のホール 2023.11.23撮影】 [動画]

昨年11月23日に熊谷文化創造館さくらめいとで行われた「第16回地域伝統芸能今昔物語」の藤間流日本舞踊藤蓉会による「埼玉松坂」大和楽「舞」を、江南文化財センターYouTubeに公開しました。
藤間流日本舞踊藤蓉会は、会主の藤間勘蓉氏を中心として、テレビ番組での舞踊披露や、熊谷市の姉妹都市ニュージーランド・インバーカーギル市での海外公演など、日本舞踊の美しさを様々な場面で披露しています。現在では、後継者の育成に力を注ぎ、多くの門下生が高い舞踊の芸と美を発揮しています。
今回、披露される「埼玉松坂」は、郷土埼玉を主題にした歌謡に踊りをつけたもので、今回は、おもだか秋子氏の歌により、華麗な舞を披露しています。2曲目の大和楽「舞」は、日本古来の舞踊を原点に、四季折々の祈りを込めながら、日本の美しさや雅を主題とした作品となっています。

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令和五年度星渓園自由投句入選作品 [お知らせ]

令和五年度星渓園自由投句の入選作品が決定いたしました。

入選第一席 
  冬の池水際にかもの羽づくろい  飯島 文子 様
入選第二席
  初秋に石塔かなし苔の青     宮下 薫 様

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入選されたみなさま、おめでとうございます!
そしてご投句くださいましたみなさま、ありがとうございました。

星渓園では一年を通し、投句を受付けています。
投句箱は星渓園正門に設置しております。
みなさまのご投句をお待ちしております。

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清水武平次 [近代]

染物業を営み俳人でもある清水武平次(1877-1933)を紹介します。
武平次は、明治10年(1877)松山町(東松山市)生まれ。明治22年(1889)清水家は市内鎌倉町に移住し、染物店を開業しました。明治39年家業の染物業の跡を継ぎました。大正2年(1893)熊谷町町会議員当選しました。
大正5年(1896)10月には、高城神社の県社昇格を記念して、熊谷町染色組合一同が奉納した天水桶の台座の奉納者名に名が刻まれています(天水桶台座には「武平治」)。
趣味として俳句を作り、染色の関係から号を紫紅と称し、横町の俳句会を結成し、斉藤紫石、木村米里、伊東侍郎、川辺昇三らとともに新しい俳句の研究に努めました。染色業界では、熊谷染色業組合長として同業の発展に尽力しました。
大正15年(1926)の熊谷大火では、斎藤茂八(紫石)町長の下、災害復旧委員会の委員として、区画整理の土地買収、熊谷寺の墓地移転に尽力しました。
昭和8年6月8日57歳で没す。
参考文献 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎
IMG_1228.jpeg高城神社天水桶台座
somemonokoujou (1).jpg大正12年清水染工場年賀状
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きかは便郵145 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介145回目。今回は「熊盛座」です。
この写真は、大正14年5月13日の熊谷大火で焼失する前(大正7年~14年)に撮影されたものです。
熊盛座は、佐谷田の棚沢房吉が、熊谷宿泉町の水田地帯を埋め立てて劇場を設立し、その後、明治27年(1894)に枡席で定員1,300名を収容する写真の劇場を建設しました。間口十二間奥行二十間で、東京歌舞伎座を模した建物です。細い路地に建つ、木造2階建瓦葺きの建物は寺社建築を模しており、入り口正面の2階屋根には唐破風を取り付け、四隅の軒先には風鐸が下げられています。2階の窓の外には、擬宝珠高欄(柱頭部に擬宝珠の付けられた廻縁)が施された浜縁が装飾的に付けられています。
建物前に設置された幟旗には「熊盛座」、「新派連鎖志村演劇精養軒」の文字が見えます。
「新派」とは、明治21年(1888)に始まった日本の演劇の一派で、明治時代に始まった「壮士芝居(明治21年12月3日大阪新町座:角藤定憲旗揚げ)」、「書生芝居(明治24年2月大阪堺卯の日座:川上音二郎旗揚げ)」などをもとに歌舞伎とは異なる新たな現代劇として発達し、「旧派」の歌舞伎に対して「新派」と呼ばれました。
「連鎖」とは、一つの作品を演劇と活動写真で交互に上演・上映したもので、明治40年(1907)代に流行しました。主にアクション場面を上映しながら、陰で台詞を言い、その続きを活動写真と同じ俳優が舞台で演じる形式でした。映画撮影が未熟だった頃に多く作られ、目新しさと俳優の熱演で青年層を中心に人気を集めました。
「精養軒」は、興行主と思われますが、詳細は不明です。
「新派」の「志村演劇」が「連鎖」劇を熊盛座で公演している、映画が普及し始めた頃の、当時の熊谷の様子を伝える貴重な写真です。
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04 相上神楽保存会【第16回地域伝統芸能今昔物語 熊谷文化創造館さくらめいと 2023.11.23撮影】 [動画]

昨年11月23日に熊谷文化創造館さくらめいとで行われた「第16回地域伝統芸能今昔物語」の相上神楽保存会による「浦安の舞」を、江南文化財センターYouTubeに公開しました。
相上神楽は、春と秋、大里地域の相上地区にある吉見神社の祭事として舞われている神楽です。天保6年(1835)8月の関東大洪水の際に人々が当神社に祈願したところ災害を免れたことから、神楽殿が建築され、その後、地元の人々が、坂戸の大宮住吉神楽から教えを受け、相上地区における神楽の伝承が始まりました。旧来の曲目には、「岩戸開」「氷の川」「大蛇退治」「剣玉」などがありましたが、一時活動を休止していました。現在では、戦後に流行した「浦安の舞」の披露を皮切りに、若い世代の伝承が進められ、原初の舞の復活に向けて取り組んでいます。この「浦安の舞」は戦前、昭和天皇によって制作された歌詞に基づき、神楽舞いが考案され、近代神楽の中でも広く知られる演目となっています。

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03 間々田万作おどり保存会【第16回地域伝統芸能今昔物語 熊谷文化創造館さくらめいと 2023.11.23撮影】 [動画]

昨年11月23日に熊谷文化創造館さくらめいとで行われた「第16回地域伝統芸能今昔物語」の間々田万作踊り保存会による「間々田万作踊り」を、江南文化財センターYouTubeに公開しました。
間々田万作おどりは、妻沼地域の間々田地区にある伊奈利神社の祭礼で、初午当日の神事の後に奉納されています。江戸時代以降、利根川の水運にも恵まれ、養蚕、米や麦などの豊かな生産地であった間々田地区では、五穀豊穣の祈りと、収穫の感謝を込めて、「万作おどり」が継承されています。江戸時代中期に他の地域の踊りからの影響を受けるなどして確立され、戦後において途絶えたことがありましたが、保存会の結成を契機に復活し、今日に至っていいます。
今回は、「下妻音頭」の陽気な踊りで幕開けし、「数え唄」で田畑仕事を思わせる動きが見られるその間に拍子木で活気を与える「口上」が加わります。そして「粉や踊り」で収穫の感謝を踊りで表現し、間々田万作おどりの将来を担う、熊谷市立男沼小学校の児童の皆様による踊りが披露されます。


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榧園好古図譜 北武蔵野名家根岸家の古物展 [お知らせ]

明日、令和6年2月17日(土)から4月14日(日)まで、國學院大學博物館で、市内冑山の根岸家の特別展「榧園好古図譜 北武蔵野名家根岸家の古物」が開催されます。
国重要文化財の市内上中条出土の短甲武人埴輪も展示されます。この機会にぜひご覧ください。
会場:國學院大學博物館企画展示室: 〒150-8440 東京都渋谷区東4丁目10−28
時間:10時~18時(最終入館17時)
休館日:毎週月曜日(祝日は開館)
入館料:無料
ミュージアムトーク:國學院大學博物館内ホール
第1回:2月24日(土)11時~12時:講師内川隆志
第2回:3月9日(土)11時~12時:講師三浦泰之


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江南幼稚園訪問2 [普及事業]

1月24日に文化財センターを見学した、江南幼稚園の園児さんたちが、とても素敵なお礼状を持ってきてくれました。
みなさん絵が上手ですねえ。
絵描きさんになれるかも。
もちろん、考古学者さんにも!
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02 妻沼幼稚園【第16回地域伝統芸能今昔物語 熊谷文化創造館さくらめいと  2023.11.23撮影】 [動画]

昨年11月23日に熊谷文化創造館さくらめいとで行われた「第16回地域伝統芸能今昔物語」の妻沼幼稚園児による「実盛慕情」を、江南文化財センターのYouTubeに公開しました。
実盛慕情」は、斉藤別当実盛公敬仰会が石川県加賀市の実盛塚を訪れた際に、地元中学生による、実盛を偲ぶ詩舞「篠原慕情」に深い感銘を受けたことが契機となりました。平成5年、妻沼において詩舞「実盛慕情」が創作され、妻沼幼稚園の他、妻沼東中学校と妻沼西中学校の剣道部員による舞が今に受け継がれています。

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01 東別府祭ばやし保存会【第16回地域伝統芸能今昔物語 熊谷文化創造館さくらめいと 太陽のホール 2023.11.23撮影】 [動画]

昨年11月23日に熊谷文化創造館さくらめいとで行われた「第16回地域伝統芸能今昔物語」の東別府祭ばやし保存会による「東別府祭囃子」を、江南文化財センターのYouTubeに公開しました。
東別府祭囃子は、江戸中期より行われている東別府神社の夏祭りにおいて、神輿巡行の「力づけ」を行う役目があります。祭り当日、囃子は東別府の各字へと出向き、五穀豊穣・家内安全・悪疫退散を祈願して演奏を続けます。演目には、通称「ばか囃子」や「祭り囃子」などがあり、躍動的な囃子に、おかめとひょっとこの踊りが加わります。地区民の娯楽を兼ねた芸能として今日に継承されています

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