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清水武平次 [近代]

染物業を営み俳人でもある清水武平次(1877-1933)を紹介します。
武平次は、明治10年(1877)松山町(東松山市)生まれ。明治22年(1889)清水家は市内鎌倉町に移住し、染物店を開業しました。明治39年家業の染物業の跡を継ぎました。大正2年(1893)熊谷町町会議員当選しました。
大正5年(1896)10月には、高城神社の県社昇格を記念して、熊谷町染色組合一同が奉納した天水桶の台座の奉納者名に名が刻まれています(天水桶台座には「武平治」)。
趣味として俳句を作り、染色の関係から号を紫紅と称し、横町の俳句会を結成し、斉藤紫石、木村米里、伊東侍郎、川辺昇三らとともに新しい俳句の研究に努めました。染色業界では、熊谷染色業組合長として同業の発展に尽力しました。
大正15年(1926)の熊谷大火では、斎藤茂八(紫石)町長の下、災害復旧委員会の委員として、区画整理の土地買収、熊谷寺の墓地移転に尽力しました。
昭和8年6月8日57歳で没す。
参考文献 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎
IMG_1228.jpeg高城神社天水桶台座
somemonokoujou (1).jpg大正12年清水染工場年賀状
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