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寺内廃寺の遺物整理から―10 「金銅仏光背」 [整理作業]

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寺内廃寺出土
光背破片(左)と想定復元図(右)
法隆寺献納金銅仏
「光背195号」と
「観音菩薩立像185号」
像高31.2cm
7~8世紀
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参考 奈良国立博物館1981「法隆寺献納金銅仏」図録より転載

寺内遺跡の金堂跡から出土した小さな銅板片を紹介します。
圏線の内側に突出部を作り出すほかは、折れた破断面をしています。おそらく小金銅仏の光背ではないかと考えられます。圏線の直径が12㎝ほどに復元されるのでスカシを持つ5窓の中心飾りになるとの想定で復元してみました。弧線状のモチーフは5分割がちょうどいいようです。左上部に切り込みが遺ることから方形状の炎光としてみました。類例は見当たらないようですが一案です。

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寺内廃寺の遺物整理から―9 「帳(とばり)の金具」 [整理作業]

 寺内廃寺の金堂跡から発見された銅製金具には、留め釘が残り一端を輪状に加工した遺物があります。この金具は布や板などを押さえるためや、幕や帳を吊るすために使用されたと思われます。同様の金具は、奈良県薬師寺、堺市百済廃寺、大阪府鳥坂寺跡からも見つかっており、堂内を荘厳するために作られた錦織や刺繍、仏画などを飾る際に使われたものと考えられます。寺内廃寺の金堂にも錦織の飾り布や仏画の刺繍された帳などが壁を覆っていたと想像されます。
 古代の刺繍では、中宮寺に伝来する「天寿国繍帳」や当麻寺に伝わる「当麻曼荼羅」などがよく知られています。
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上位の2点と中位左4点は寺内廃寺
下位の2点は大阪府百済寺跡
中位右の3点は奈良県薬師寺 寺内廃寺出土状態

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寺内廃寺の遺物整理から―8 「千年の和釘-5」 [整理作業]

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寺内廃寺出土壺金 薬師寺出土壺金

 金堂跡からは特別の金具も見つかっています。四角い窓が開けられた「壺金」と呼ばれる釘の一種とする金具で、仏像を納めた厨子や文庫箱・経箱などの扉の左右に付けられ、四角い孔には鍵を通して使用しました。
 この壺金の大きさからすると,比較的大型の厨子に取り付けられたと考えられます。仏堂跡から発見されることが多く、奈良県薬師寺の発掘調査では大型のものが見つかっています。また、飛鳥寺に接した飛鳥池遺跡は様々な工房群が発見された飛鳥のコンビナートというべき遺跡で、製品の規格を統一するための原型・見本というべき「木型」〔様〕が発見されています。「様」と書いて「ためし」と読み、現在でも生きている言葉です。
 寺内廃寺の厨子には何が入っていたのでしょうか。一つの考えは、銅製光背の破片から想像される小金銅仏で「釈迦誕生仏」などであったのかもしれません。
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寺内廃寺の遺物整理から―7 「千年の和釘―4」 [整理作業]

 金堂から出土した釘で変わった釘には、両側に釘先を持つ両頭の釘、「会釘(あいくぎ)」があります。両頭という点で鎹(かすがい)に似ていますが、平板を繋ぎ合わせるときに使うなど「隠し釘」に使用されるようです。平板を繋ぎ合わせる隠し釘の使用方法はどのようなものなのでしょうか。大きいものでは板壁を留めるためのもの、小規模では箱や厨子などの平面部での使用でしょうか。
 寺内廃寺からの出土品はほぼ中央で直角に曲がっていることから、材を直角に曲げての使用が考えられます。
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寺内廃寺の遺物整理から―6 「千年の和釘―3」 [整理作業]

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 寺内廃寺から出土した鉄釘は、発掘時点で約600点、総重量35kgありました。復元薬師寺回廊では30tの釘が使われたとされ、寺院建築に多量の釘が使われたことが想像されます。釘の使用にあたっては釘と当たる木材の部分から不朽が始まるので、多湿な日本では鉄地に漆を塗るなどの防腐処置をしています。それでも使用数は少なめにしたほうが建物にとっては良い状態が保たれたと思います。
 寺内廃寺で出土した釘は、完全な例から1寸(約2.7~3.0cm)を基準にして2寸、3寸、4寸、5寸、8寸とほぼ5種に区分できるようです。
 8寸の大型釘は、縦柱と横貫又は梁を留めるために使用された特別な釘で「頭貫」とされる例と考えられます。金堂の柱と梁を留めるには28本以上の頭貫の釘が必要です。
 4寸~5寸の釘は、出土数が最も多く、屋根を支える垂木を留めるために使用されたと考えられます。
 2~3寸の小型釘は、建物での使用も除外できませんが、他の器物での使用が主体ではなかったかとも思います。
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寺内廃寺の遺物整理から―5 「千年の和釘―2」 [整理作業]

 八寸釘と思われる24㎝大の大型釘には、以下の三種の形態が確認されています。
①は飛鳥型―頭部が四角錐形をした、がっちりとした造りで銹の浸潤が少ない。②は白鳳・天平型―ほぼ四角形の鋲頭を造り出す。
③平安型―やや細めで折り返した鋲頭を造りだす。
 他の中小型の釘は③平安型が主体であることから、釘の様相や瓦様式の年代ともほぼ同時期と考えられ、寺内廃寺の建築物の完成は九世紀前半代として矛盾はないようです。
 各時期の釘が使われている背景は、保存されてきた①②期の釘を使用したと考えるか、又は従前建物から取り出した釘を再利用したとも考えられます。なお、焼け残る金属類は、火災後の取り方け付でほとんど採取され再利用されることが多いため、銹釘とはいえ貴重な資料にです。
① 型 image011s2.png
② 型 image011s3.png
③ 型 image011s1.png

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寺内廃寺の遺物整理から―4 「千年の和釘-1」 [整理作業]

 寺内廃寺からは大量の釘が出土しているので、その概要をご紹介します。 
「乳金物」は釘頭部の直径が6㎝程もある釘で、平鋲頭または笠状頭とも呼べる大型の釘(下図)です。この釘は3点あり、講堂跡背面中央付近から近接して発見されました。形状や出土状況から扉の飾釘と推定され、現在の寺院門扉にみる乳金物(写真)と同様の品と思われます。写真は肥塚成就院の門扉の例です。
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「千年の和釘」とは、薬師寺の再建に使われた和釘を復元製作した鉄工匠の感嘆と自負の言葉です。(白鷹幸伯1997『鉄千年のいのち』草思社)
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寺内廃寺の遺物整理から―3 飾金具 [整理作業]

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写真1 寺内廃寺の金堂基壇上から出土した、長さ6㎝×幅1㎝の青銅製の板金具
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参考図 「薬師寺発掘調査報告書」奈良国立文化財研究所学報第45冊 1987
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写真2「第60回 正倉院展」奈良国立博物館 図録 2008

 寺内廃寺の金堂基壇上から出土した、長さ6㎝×幅1㎝の青銅製の板金具です(写真1)。小品ながら流麗なつる草や花文が彫り込まれています。
 唐草文風の草花文で、花芯には釘穴があけられ細長く平らな帯状の金具であることから、仏像の収まる厨子や経箱などの貴重品を入れた箱に取り付けられた金具と考えられます。いまなお、正倉院の宝物として、よく似た金具(押縁)を付けた厨子や箱が伝わっています(写真2―黒柿両面厨子など)。また、奈良県薬師寺金堂跡の発掘調査でも類似した金具の発見が報告されています(参考図)。
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寺内廃寺の遺物整理から―2 音で飾る軒先の風鐸 [整理作業]

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図1 寺内廃寺出土風鐸鈕部分2個分 図2 上総国分寺跡出土風鐸復元図
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風鐸のイメージ (復元された平城京朱雀門軒先)

 寺内廃寺の金堂西側は、礎石を覆う瓦礫がよく残ることから火災時に西側に倒壊したと考えています。多量の火災残滓には、建築材の炭化物・焼土化した壁土・瓦・瓦塔片・釘等の金属類を含む多量の遺物が見つかりました。図1の鉄製品は(約5㎝)は分厚い逆U字形をしており、同様な遺物の類例からすると風鐸の鈕(釣手部分)と考えられます。図2は市原市上総国分寺跡から出土した青銅製の風鐸(全高約38㎝)で、上部の逆U字型部分が同形をしています。多くの風鐸に共通する形のようで、島根県来美廃寺、大阪府海会寺跡、奈良県飛鳥寺、奈良県大安寺 兵庫県但馬国分寺跡などでも見つかっています。埼玉県では日高市の高岡廃寺と本庄市の山寺廃寺から破片などが見つかっています。
 風鐸の発する音は障魔を遠ざけるとされ、清浄を保つ機能がありました。寺内廃寺ではどのような音色を奏でていたのでしようか。
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寺内廃寺の遺物整理から―1 花を飾る器 [整理作業]

 寺内廃寺にかかわる出土遺物整理の状況のその後をいくつか取り上げます。
今回初めて紹介する報告もありますので、ぜひご覧ください。
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寺内廃寺出土の多嘴瓶   奈良二彩の多嘴瓶
東京国立博物館蔵

「多口瓶」又は「多嘴瓶」とも呼ぶ壺形陶器は、一個の長頸壺の肩に複数個の口頸部を取り付けたもので、その数は4~5個の例が多く、花を生ける花器で、寺に特有の器具とされ、窯跡などの生産跡以外では仏堂跡から発見されます。
 官大寺と呼ばれる国家直轄の寺院では、緑釉陶器や三彩陶器で作られた高価な花器も出土していますが、地方の寺院では美濃で作られた灰釉陶器や地元産の須恵器などが多く使われたようです。
 寺内廃寺金堂から出土した多嘴瓶は灰釉陶器が使用されており、細片から復元すると図や写真のような姿となります。現在でも仏前に花を供えますが、寺内廃寺の場合、仏像の破片から推定される如来と観音に手向けられたと想定しています。
 参考に、奈良市「薬師寺」は奈良二彩、宇治市大鳳寺跡は灰釉陶器、日高市高岡廃寺は須恵器の多嘴瓶の出土が知られます。
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