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きかは便郵128 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介128回目。今回は「熊谷寺」です。
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駅弁掛紙で紹介した熊谷寺の写真と同じ構図のもので、大正4年(1915)に再建されて間もない熊谷寺本堂を、中村写真館が撮影したものです。
熊谷寺は、建久4年(1193)頃に、熊谷次郎直実(1141-1207)が出家して、館の一郭に庵を結んで僧俗に開放して教えを説いたことに始まり、その後、天正19年(1591)にその庵の跡に、幡随意上人(1542-1615)が寺院を建立したと伝えられている浄土宗寺院です。
本堂正面の参道石畳上には、回向柱が立てられ、柱上部に結びつけられた白い紐が、本堂内部へと伸びています。この紐は、本堂内で五色の糸に変わり、さらに本尊の阿弥陀仏の右手中指から伸びる金糸と繋がっています。この本尊と繋がった回向柱は、阿弥陀仏の命を宿すとされ、回向柱の一面でも触れると、本尊に直接触れるのと同じ功徳が得られると言われています。
この回向柱は卒塔婆の一種で、柱の上部には四箇所に刻みが入っています。これは、「空・風・火・水・地」の五つの要素が、完全な姿で存在する様子を表現したものです。
回向柱の正面には、五つの要素を表す梵字で、キャ:十一面観音菩薩、カ:地蔵菩薩、ラ:羅喉星、バ:薬王菩薩、ア:大日如来と書かれ、その下には「奉修開山蓮生大法師二拾五萬二千二百日供養之寶塔」と書かれています。
この他、回向柱の奥にもう一本上部が布で覆われた新しい回向柱が立てられており、下部には「大慈恩塔」の文字が書かれています。
蓮生法師の没年が建永2年(1207)であることから、252,200日(690年)後は、明治30年(1897)となります。本堂は安政元年(1855)に火災に遭ったものが、明治34年(1901)再建の許可が下り、明治40年(1907)4月10日蓮生法師700年忌を期して上棟し、大正4年(1915)竣工したもので、再建後に改めて法要が行われたことが推測されます。
本堂にはこの上棟式に使われたと思われる「檀徒有志者」寄附による八つ割萬生紋が描かれた幕が下げられており、「明治四十年四月十日」と記されています。
この他、本堂入り口には「戒壇めぐりできます」の貼紙が掲げられています。
再建当時の熊谷寺本堂の様子を伝える貴重な写真です。

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