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大里郡会議員4 [近代]

主な大里郡会議員の紹介。今回は、中村孫兵衛(1854-1933)です。
政治家。上中条村に代々名主の家に生まれる。幼名隆亮、隆助。
明治8年(1875)県内初の自由民権運動結社「七名社」の創設メンバーになり、演説や警察との交渉にあたる。
明治9年(1876)12月、村内から馬や人物の埴輪が発見されたと聞き、吉見村冑山の根岸武香(1839-1902)に伝え、現在重要文化財に指定されている「短甲武人埴輪」「馬埴輪」の保存に尽力した。
明治10年(1877)、上中条村戸長を務め、明治12年(1879)最初の県会議員に当選。同15年(1882)に副議長、同19年(1886)に秩父郡長、同23年(1890)に南埼玉郡長、ついで大里郡長(1890~1908)を歴任し、名物郡長と呼ばれた。
明治13年(1880)から23年(1890)にかけて栃木県那須郡黒磯町に「埼玉開墾社」を創設し、1,000haの土地を開墾する。同地には今も上埼玉、下埼玉の地名が残り、顕彰碑が建てられている。
明治33年(1900)、上武鉄道(現・秩父鉄道)敷設に際し、松本平蔵(1849-1923)、竹井湛如(1839-1912)らと共に、秩父の柿原万蔵(1860-1919)を助け、重役の一員となり援助した。
明治36年(1903)、備前渠の渠底浚渫工事が明治34年(1901)完成したことを記念して「備前渠改閘碑記の碑」を発企者として、深谷市矢島地内の備前渠のたもとに建てた。この碑の撰文は渋沢栄一、篆額は徳川慶喜、石工は吉川黄雲。
明治41年(1908)、従五位勲五等を賜る。
明治45年(1912)大里郡役所前に銅像が建てられ、その後熊谷寺境内に移設されたが、戦時中の金属回収令により供出され現存しない。
昭和8年(1933)9月23日80歳で没す。
中村孫兵衛.jpg『埼玉県大里郡制誌』1923年
備前渠改こう碑 (1).jpegimage0.jpeg備前渠改閘碑記の碑
参考文献
『埼玉県大里郡制誌』1923年 埼玉県大里郡編纂
『熊谷人物事典』1982 日下部朝一郎
『熊谷自由民権運動資料1「七名社」の時代』熊谷市史料集7 2021年 熊谷市教育委員会
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