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きかは便郵139 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介139回目。今回は「熊谷音頭」です。
この写真は、明治40年から大正7年の間に、中村写真館により撮影された、「熊谷音頭」の様子を写したものです。
お祭りの日にあたるのか、日章旗と旭日旗の張られた屋外に設けられた舞台に、熊谷音頭を披露する場面が写されています。舞台軒下には「・お・や・か・ま」と書かれた提灯が下げられており「どんおやがまく」と思われます。舞台上には女児2名が扇子を持って踊っており、後ろには、三味線、小鼓、大鼓を持ち演奏する女性6人と、扇子を持ち唄を歌う女性10人が写っています。
熊谷音頭は、平山盧江作歌、杵屋佐近作曲、藤間伊勢振付の民謡です。歌詞は、「赤城おろしを秩父でよけて 富士と浅間はさしむかひ おかひこぐるみか熊谷町は 桑の青葉の中にある 君に大橋わたれば下は 小石川原に月見草 土手のさくらをそのまま染めて 熊谷名物もみの色 水は荒川さくらは堤 武士の情けは熊谷寺 江戸からここまで熊谷堤 花の廊下の月あかり 上之めぐみで一所に 成田何の熊谷末とげる 竹町弥生の春のはりと 意気地で添うたなか 松の石原鎮守の森に 月のしづくかしめじ茸 通ふ心は箱田をこえて 恋の川上竜淵寺」
平山盧江(1882-1953)は、神戸生まれの文人で、本名は壮太郎。実父の死後に長崎の酒屋、平山家の養子になり、日露戦争中、満州に渡り、帰国後は「都新聞」などの花柳・演芸欄を担当し、大正15年長谷川伸らと第1次『大衆文芸』を創刊。都々逸、小唄の作詞も行い、この熊谷音頭も手がけています。
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