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きかは便郵141 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介141回目。今回は「荒川大橋」です。
この写真は、大正6年(1917)から大正10年(1921)の間に撮影された、「荒川大橋」です。
橋は、中央部がコンクリート製橋脚に二連トラス橋となり、両側は木桁橋となっています。写真左手には、河原に座り川面を見つめる男性が写っています。
トラス橋とは、橋の桁部分に、細長い部材を両端で三角形に繋いだ構造で、それを繰り返して桁を構成する橋です。
荒川大橋は、明治42年(1909)に、それまでの「村岡の渡し」に代わって、熊谷と対岸の村岡を結ぶ荒川に、橋長506m、幅員4.2mの木桁橋として架けられました。橋脚には、すべて秩父産の杉丸太が使用され、杭木4本建55組で、1径間(橋脚間の距離)が5間ありました。
大正3年(1914)8月13日には、洪水により橋中央の一部(70間:126m)が流失し、大正6年(1917)流失した部分を二連トラス形式で修復しました。
大正10年(1921)には、残存していた木造部が流失し、大正14年(1925)に流失した部分を九連トラス形式で修復し、当初の木桁橋は完全に姿を変えました。
これにより、全橋とも鉄鋼製となり、全長509mの荒川大橋は、当時県下一と称されました。
昭和29年(1954)には、荒川が改修され、川幅が広くなったことに伴い、橋をコンクリートで延長しています。昭和55年(1980)に、新荒川大橋が竣工し、昭和56年(1981)には、この九連トラス橋は撤去されましたが、橋の一部は、日本の近代橋梁の先駆けとなる歴史的構造物として、村岡側に移築・保存されています。
写真は、中央部のみがトラス橋となっており、大正6年(1917)から大正10年(1921)の5年間だけ存在した、木桁橋から鋼鉄橋への過渡期の様子を写した貴重な写真です。
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