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きかは便郵142 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介142回目。今回は「熊谷附近ノ機関銃射撃」です。
この写真は、大正7年(1918)から昭和初年の間に撮影された、「熊谷附近ノ機関銃射撃」の写真です。
荒川の河川敷と思われる場所で、藪の陰に隠れ、軍人が4人一組で、三脚に据えられた機関銃を構える様子が写されています。
手前の男性はリュックを背負い、腰には、水筒と三十年式銃剣が下げられています。この三十年式銃剣は、明治30年(1897)に陸軍で採用された銃剣で、第二次世界大戦終戦まで日本軍の主力銃剣として使用されていたものです。特徴は、日本刀を模した片刃の刀身で、左右に血抜き用の溝が彫られていました。
機関銃は、左側に保弾板(フィードストリップ)が取り付けられている三八式機関銃です。これは、明治40年(1907)に、陸軍砲兵南部麒次郎少佐(1869-1949)が設計したもので、三脚上に搭載して使用する空冷式機関銃です。口径6.5mm、全長1,448mm、銃本体重量28kg、三脚重量21.672kg、総重量55.5kg、有効射程距離2,000mで、装弾に保弾板を使用し、30発を連射することができました。
三脚は、前方に2脚、後方に1脚が延び、この後方の脚上には銃手用のサドルが取り付けられていました。写真をよく見ると、右から二番目の男性が銃手と思われ、膝射姿勢をとっており、足の間には後方に延びる1脚が写っています。
ちなみに、市内荒川右岸の平塚新田には、昭和16年頃に熊谷地域の青年学校の実弾射撃場がつくられ、当時の熊谷市役所内に実弾射撃場事務所が置かれ、使用許可を出していました。現在でも、江南台地崖線下に、コンクリート製の監的壕(射撃の着弾点や命中率を確認するための施設)の一部が残っています。
熊谷付近の荒川河川敷で、陸軍の機関銃射撃訓練が行われていたことを記録した貴重な写真です。
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