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野口雪江 [近世]

建部涼袋門下で、笑牛や医家の三浦無窮と親交のあった書家で俳人の野口雪江(1731-1799)について紹介します。
享保17年12月7日熊谷(母方の下奈良の栗原家)に生まれ、名は秀航。初号雪叩、別号月樵。諱は實鼎(ほうてい)。熊谷惣鎮守愛宕神社祀官、修験水源山大善院々主。若いころより学問にはげみ、17歳で肥塚の東有隣から経史を学び、18歳の頃江戸に出て、当時名声のあった書家の関思恭に入門し、書道を研鑽しました。草書を得意とし、関思恭門下の書家として、寛政の三名筆といわれました。
俳諧は、建部涼袋、高桑闌更、加舎白雄等に師事し、涼袋系の俳書に多く入集しています。寛政11年(1799)68歳で没しています。
雪江の墓誌には、三浦無窮撰による「文質具(つぶさ)に備わり、知徳両(ふた)つながら修め、花あり実ありて、功業朽ちざらん」と刻まれています。
下の写真は、雪江書の浅草浅草寺本堂外陣の両聯「仏身円満無背相」「十方来人皆対面」と、埼玉県日高市高麗神社第一ノ鳥居扁額「大宮大明神」です。浅草寺の両聯は、寛政9年9月18日に、江戸小舟町佐々木与兵衛の斡旋で、熊谷宿の竹井新右衛門、石川清左衛門、石川藤四郎が世話人となり、雪江の俳友・門人の須賀市左衛門(笑牛)、長島藤右衛門、村岡与一右衛門、板倉長兵衛、大森嘉兵衛、代忠八が発願して奉納したものです。
nogutisekou-4.jpgnogutisekou-4-1.jpg   野口雪江額2.jpg
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