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高浜虚子:館林、太田、妻沼、熊谷吟行の記3 [紀行]

歓喜院で句会の後、虚子一行は熊谷宿へ向かい、熊谷寺で、宝物(東行逆さ馬図、鞍、鐙、珠数、蓮生自作像など)を見学します。

「熊谷の名所を見て俳句会へ」  零余子
「二臺の馬車に押しつけられていた吟行團は熊谷の人々の中へ吸ひとられて行って、帽子の渦巻きとなつているのが、何とか祝賀会とでも謂ひさうな賑かな光景だ。熊谷の町に向つて一團が練り行くのが晴れがましくつて極りが悪い。不図前の方を見ると、遥かに見えるのは先頭の旗である。「歓迎俳士ほととぎす吟行團」と筆太に書き流してある。俳士が合点が行かなかったが、これは俳誌を書き誤ったださうな。多勢の見物がかういふ一行をけげんな顔で見送っていたが「俳士劇が繰り込んで来たのよ。」と囁き合っているのが皆の耳に渡つて行つた。恰も此地に「高濱劇座」といふ連鎖劇がかかつているさうで辻にびらがぶら下つていた。何だかものがこんぐらかりさうだ。
 蓮生山熊谷寺は間近にあつた。一行は本堂の階段を塞いで、歓迎旗を中心に、あちこちに固まつてざわめいていた。それが熊谷旗揚げの場面を俳士劇で見せるのではないかと考へて見た。それは撮影を待つ暫くの間であつた。
 撮影がすんで宝物を縦覧する事になった。宝物縦覧所といふ札の懸つた玄関に下駄を残してぞろぞろと上つた。板間は曇つて光らない。そこへ洋傘や、分福茶釜の土産や、呑龍様の絵馬やをがたがたと置いた。どつちの方へ行つたらよいかと思つていると、すぐ前にある障子が開いた。煤けた障子に目をとめて中を覗くと、そこには幾人かの人がいるらしい。何だかか暗くつてちつともわからないが、何かをぢつと眺めている人や、手を触れている人がある。障子を這入つて見ると思つたより薄明であつて定かにものの形が見える。これが宝物だなと思つて鞍や、鐙や珠数などを眺める。
 坊さんが壁の軸の前に立つているのでその方へ皆が詰め掛ける。「此れは何とか。」と大きな声を立てて軸の説明をしているのが断続と聞こえる。私も坊さんに眼をとめる。蓮生法師逆馬の圖である。それは法師が東帰の際、西方に尻を向けないといふ願を立てて逆に馬に乗つて関東へ帰つて来たのを那須清信が書きとつて、徳大寺實維卿が賛歌している。古びたものである。蝋燭の焔が低い處を照しているので馬上の直実が芭蕉の顔みたいに見える。それから坊さんは種々の宝物を熱心に説明した。然しさう宝物に許り時間を割くわけにも行かないので、間も無く其部屋を見棄てて、今度は本堂の蓮生法師自作の像を拝し、其から御墓や熱盛の碑を見て引き上げなければならなかつた。一行が門を出るのを見送つて坊さんは立つていた。千甕伯はあとに止つて御墓を写生していた。」

下の写真は、「館林、太田、妻沼、熊谷吟行の記」に描かれている夕暮れの熊谷寺です。
熊谷寺.jpeg
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