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『秋の一日』(2) [紀行]

「秋の一日 熊谷へ」 山口青邨:『ホトトギス』第28巻第4号:大正14年刊:ホトトギス社

ホトトギス吟行会が、福田村できのこ狩りに行く際、熊谷駅から車2台に分乗して向かいますが、通り道、野原の文殊寺に寄ります。そして福田村できのこ狩りをした後、一行は、星溪園で句会を催し、魚勝で宴会をおこないました。前回は、ホトトギス吟行会を迎える熊谷の側(田島一宿)の記載でしたが、今回はホトトギス吟行会側(山口青邨)の文章です。

(前略)
「荒川の鉄橋を渡ればもう十里の稲田である。実りに実った穂を垂れて、案山子の姿も此頃は、洋服にカンカン帽子、蕎麦の花も雨の空にはカラッとせず、腐った南瓜もそれと見極めないうちに過ぎ、薄の岡、柿の家、穂の草の原、家鴨の溜池など見送るほどに熊谷に着いて了った。驛には初めてお目にかかる方々のお出迎へ、驛前の弁当屋のテーブルにひとまづ腰かける、「何しろこの雨でせう、今日はとてもお見えになるまいと思って居りました」「ほんとに生憎の雨で、まだまだ来る筈だったんですが」「私の方でも方々に通知は出してあるんでして、て天気なら無論沢山来るのでしたが」「茸山の方は実は昨日わざわざ行って見て来てありますんで、初茸には少し遅い様です」「なアに香さへかげばもう満足です」こんな会話。九時五十分着の汽車も待ったが誰も見えない。それで愈々茸山に行くことにする、雨は霽れて時々明るい日射さへ見せた、これぢゃ愈々天気になると一同大いに喜ぶ、二臺の自動車に分乗して田圃を走る、帆が下りているので外はさっぱりわからない。途中車を停めて文珠様に詣る、この邊での賑やかな縁日のある所なさうだ、また馳る、大きなお百姓屋に到着する、ここの主人が山の案内をされるのださうだ、みんな山に入る仕度をする、羽織を脱ぐ人、袴を
とる人、足駄を足袋に穿き代へる人、ゲートルを捲く人、弁当包を背負ふ人、正宗の一升瓶を下げる人。」(中略)「直「ぐとつつきの處の岡に祠がある、一枚の大岩から出来てる岡だ、上り口に階段のないのが珍しい、滑るのを怖々上がる、この邊一帯に松林で、初茸がありさうだなと思って見ると直ぐ見つかる、たうとう吾輩が一番槍を入れて了った、そこを下りて又別の山に入る。「あったあった是は何といふ茸でせう」「是は初茸ですか」「それは毒茸です」「では是はどうです」「ああそれは青獅子といふ奴です」「食べられますか」「これは何でせう」「それは白天狗です」「之は」「土もぐりです」「おーいみんあな集まれ、茸の標本を見せてやる」「みんな見てからとるんだ」こんあ騒ぎをして又山を一つ越える」
(中略)山に入る時「茸狩(茸とも)」「秋の山」を提出されたのであったが、作句の方はすっかりお留守になって了っている。午少し過ぎて、みすぼらしい鉱泉宿に着く、そこへ、ゝ石さんがほっこり現れる、賑やかになる、携へた正宗に景気をつけて弁当を開く。ここを立ってまた田圃道を歩く、空は愈々晴れて柿の色が美しい、群雀が田から田へと渡る。「茸」も「秋の山」もまだまとまらない、途中で熊谷からの迎への自動車に出会うふ、そこで、一路さん、一宿さん、孤童さん、夏山さん、ゝ石さん、一水さんは先に会場の方へ行く、先生、煤六さん、雄美さん、浩波さん、秋紅さん、三七君、私は次の自動車の来るまでぽつぽつ歩くことにする、(中略)第二の自動車に乗って会場たる池亭星溪園に着く、水清かにして玻瑠の如く、鯉魚さながらに「遊魚之圖」の如しだ、樹木は古りて蘚苔青く誰か紅葉を焚く人はないかと言い度くなる。「もう締め切りますよ」先生の亭から呼ぶ聲、四阿に居た私はまだ四苦八苦の處。それからみんな集まって披講をする、もう夜である、電燈が灯る。ここをひき上げて直ぐ側から続く堤の上を
歩く、櫻樹すでに悉く落葉して折からの明月は盆の様に皓い、堤を下りて踏切を越えて町に入れば、ここは狹斜の巷である、俳人をとっつかまへて「寄っていらっしゃい」はおかしい。それから料亭魚勝に入り池水に動く月光を眺めつつ杯を重ねるうち、美人なども見え話もはづみ、歓談時の移るを知らず、時に一路さんの緊急動議「之から秩父長瀞に行かうぢゃありませんか」と、ついに先生、一水さん、ゝ石さんが行くこととなりあとに残る。ほかの四人はここに一日の行楽を感謝して、九時七分帰京の途に就く、心づくしの茸の苞を抱えて秩父赤壁の清遊は夢に載せて、うちらうちらと車窓に舟を漕ぐ。

下の写真は、大正時代の文殊寺門前の様子を写した絵葉書です。
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