聖天山開扉記念写真5 [その他]
昭和12年に、妻沼歓喜院の開扉に伴い、町内各所に設置された「造りもの」(飾り人形:本庄の人形師2代松崎富司製作)の絵葉書(飯田写真館撮影)が発売されたことが『妻沼町誌』に記載されています。
場所と内容は、日本武尊が歓喜院門前南側、布袋と福禄寿の首引きが料理屋千代舛東角の茶の間、天明水滸伝が聖天山大師堂西、忠臣蔵中庭の場が池の上北側、天岩戸が上町伊勢谷酒店南、忠臣蔵七段目が仲町橋上家宅表通、鬼ヶ島が下町の提灯屋北側、日蓮上人猿引が仲の湯北、日蓮上人瀧の口御難の場が瑞林寺西、水戸黄門石屋の場が羽生道はずれの橋南、母子連の阿弥陀詣でが一本木の阿弥陀堂境内に、町内を巡るように設置されました。
歓喜院の信仰と観光事業がコラボしたもので、当時は相当な賑わいをみせたと言われています。
参考:妻沼町誌:昭和52年:妻沼町役場
場所と内容は、日本武尊が歓喜院門前南側、布袋と福禄寿の首引きが料理屋千代舛東角の茶の間、天明水滸伝が聖天山大師堂西、忠臣蔵中庭の場が池の上北側、天岩戸が上町伊勢谷酒店南、忠臣蔵七段目が仲町橋上家宅表通、鬼ヶ島が下町の提灯屋北側、日蓮上人猿引が仲の湯北、日蓮上人瀧の口御難の場が瑞林寺西、水戸黄門石屋の場が羽生道はずれの橋南、母子連の阿弥陀詣でが一本木の阿弥陀堂境内に、町内を巡るように設置されました。
歓喜院の信仰と観光事業がコラボしたもので、当時は相当な賑わいをみせたと言われています。
参考:妻沼町誌:昭和52年:妻沼町役場
2023-11-21 09:09
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