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『埼玉県大里郡制誌』 [近代]

熊谷図書館所蔵の大正12年刊『埼玉県大里郡制誌』を紹介します。
「大里郡」は、明治12年(1879)3月17日、郡区町村編制法の埼玉県での施行により、大里、幡羅、榛澤、男衾の4郡を併せて一行政区として発足しました。「郡」は、府県と町村の間に置かれた広域行政体で、郡役所が置かれ、郡長が任命され、議会が開かれました。大里郡役所は、熊谷町の、現在の熊谷寺北側の八木橋立体駐車場から熊谷税務署辺りに設置されました。しかし、大正15年(1926) 7月1日には、郡役所が廃止され、「大里郡」は以降、地域区分名称となりました。
郡役所には、明治18年(1885)に、第一部(庶務、兵事)、第二部(収税、土木)、第三部(勧業、学務、衛生)、第四部(会計)が置かれました。
郡会議員は、主な人物として、明治29年(1896)の選挙で、熊谷町から松本平蔵(実業家:1849-1923)、御正・吉岡・楊井村から柴田忠明(政治家:1852-■)、大麻生・大幡・玉井村から鯨井勘衛(養蚕家勘衛の息子)が、大地主枠で、奈良村の石坂金一郎(政治家・養平の父:1857-1915)、明治32年(16899)の選挙で、妻沼・男沼・太田村から青木茂(政治家)、明治40年(1907)の選挙で、熊谷町から坂田廣三郎(商人:1875-■)、水野丑松(商人・水戸屋五家宝:1852-1914)、大正4年(1914)の選挙で、熊谷町から清水藤左衛門(政治家・清水屋15代:1880-1952)、妻沼・男沼・太田村から小池甲子次郎(政治家:1867-1945)、大正8年(1918)の選挙で斎藤茂八(政治家・俳人:1885-1964)等が就任しています。
郡長は、明治12年初代が鈴木敏行で、第4代に名物郡長中村孫兵衛(1854-1933)が明治23年から明治41年にかけて就任しています。
下の写真は、本書に掲載されている大里郡役所の写真と平面図です。
この本は、熊谷図書館所蔵で、閲覧のみ可となっていますので、興味のある方はご覧ください。
郡役所2.jpg郡役所平面図2.jpg
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