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聖天山開扉記念写真1 [その他]

昭和27年に、妻沼聖天山の開扉記念として発行された4枚組の写真を紹介します。
この写真は、開扉を記念して町内各所で行われた「造りもの」(等身大の人形:年中行事や祭りなどの民俗行事において趣向を凝らして細工し、固定して飾り、終わると解体された仮設の立体造形物:福原:2014)の公開状況を写したものです。
これらの人形は、明治後半から昭和60年代にかけて活躍した、本庄市の人形師松崎家三代の2代目富司(1902-1958)によって造られたものです。
1枚目の写真
右上:聖天堂本殿。右側には「聖天開扉」と書かれた立札が立てられています。和服姿の女性が3人写っています。
左上:鞍馬天狗。左側に頭巾を被った鞍馬天狗。鼓を持つ子供が鞍馬天狗に話しかけています。背景は、瓦葺きの寺院の山門と石段が描かれています。
右下:桶狭間の戦。何の場面かは不明。左側の武士2人は、刀を振り上げています。右端の武士は座っており。その隣には薙刀を持つ女性が配されています。背景は、幕を張り巡らせた杉木立が描かれています。
左下:聖天山大開帳。聖天山大開帳と書かれた籠を背負い、当たり鉦と太鼓を持つチンドン屋を、小坊主と小娘が見つめています。背景には、山里の風景が描かれています。

参考:福原敏男2014「等身大人形の造り物」『ハレのかたち』岩田書院ブックレット
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駅弁掛け紙24 [その他]

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介24回目。今回は、清水屋の御寿司です。
三日月の枠の中に遠景に山と鳥が描かれ、右下にはすすきと籠目のイラストが描かれています。「熊谷寺 西北八丁 熊谷堤の桜 南二丁 上岡観音 南一里」と記されています。下の欄外には「鐵道構内営業人組合東京下谷中根岸山水社印行」と記され、定価は「金貮拾銭」です。
調整印は、昭和12年10月21日午前6時です。
清水御寿司.jpg
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駅弁掛け紙23 [その他]

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介23回目。今回は、大盛商店の幕の内おべんとうです。
「熊谷 幕の内 おべんとう」「一枚のキップから」と記載され、SLのイラストが描かれています。
下部には「国鉄構内営業中央会々員 熊谷駅 合資会社大盛商店 TEL(21)0999」と記載されています。価格500円。
「一枚のキップから」は、昭和52年1月6日から行われた国鉄の旅行キャンペーンのキャッチフレーズです。国鉄のこのキャンペーンは「ディスカバージャパン:昭和45年10月14日~」→「一枚のキップから:昭和52年1月6日~」→「いい日旅立ち:昭和53年11月4日~」→「振り向けば君がいてーいい日旅立ち・人生その2:昭和55年11月~」→「エキゾチックジャパン:昭和59年~62年」と変化しました。
調整印のスタンプは82212と押されていますが、このスタンプの意味は不明です。キャッチフレーズから、昭和52~53年に製造販売されたものと思われます。
大盛商店幕の内おべんとう.JPG
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駅弁掛紙22 [その他]

秋山商店駅弁掛紙

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介22回目。今回は秋山商店の「秋山亭特製幕の内弁当」です。
馬上の熊谷直実が、扇を挙げて、沖の敦盛を呼び止めている一の谷挙扇の図が描かれています。定価700円。
左側には「お願い お召し上り後の空箱等はひもで結び車内又は駅備付えつけの屑物入れにお入れください。」、下には「国鉄構内営業中央会会員 高崎線熊谷駅 秋山商店謹製」と記されています。
調整印は、(昭和)59年8月7日7時のスタンプが押されています。
この頃の熊谷駅は、昭和57年に上越新幹線が開通し、昭和58年には東部熊谷線が廃止となり、昭和62年には国鉄民営分割化が行われています。コンビニやファストフード店の普及により、駅弁を取り巻く環境は徐々に厳しさを増し、平成10年頃には熊谷駅から駅弁は姿を消していきました。
秋山亭特製幕の内弁当.jpg

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駅弁掛紙21 [その他]

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介21回目。今回は秋山亭本店の「上等御弁当」です。
桜のつぼみのモチーフが描かれた背景に、「上等御弁当」「熊谷 秋山亭」「金四十銭」と記されています。3つの四角の枠の中には「国民新聞」「天下の銘酒 摂津灘御影 醸造元肥塚商店」「櫻の東京へ 平和博覧会自三月十日至七月三十一日 飛鳥山四月初旬見頃 小金井四月中旬見頃 荒川堤四月廿日頃見頃」と記されています。
平和博覧会は、大正11年に上野公園で、第一次世界大戦終結後の平和を記念し、日本産業の発展に資するために東京府が主催で開催されました。来場者は約1100万人と空前の人出になりました。
調整印を押す欄がありませんが、上等弁当の40銭の価格は大正10年に設定されたもので、翌11年には35銭に値下げになっていることから、この掛紙は、大正10年頃に使用されたものと推測されます。
秋山亭上等御弁当3.jpg
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駅弁掛紙20 [その他]

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介20回目。今回は秋山亭本店の「いなり寿し」です。
黄色のいなりずし風の背景色に「いなり寿し」「高崎線熊谷驛秋山亭本店」と記されています。中央の絵馬のイラスト2枚に描かれる意匠は何を表しているのか不明ですが、「狐」と「だるま」のようにも見えます。
定価70円で、調整印は押されていませんが、記載される代表者氏名から昭和40年代後半のものと推測されます。
駅弁に、稲荷寿しも販売していたことがわかる資料です。
秋山亭いなり寿し (1).jpg
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東武熊谷線廃線40年 [その他]

昭和58年5月31日、東武熊谷線は廃線となり、廃線から40年の節目となります。
東武熊谷線は、当初軍需目的で熊谷市と太田市を結ぶ鉄道として昭和17年に着工し、翌年12月5日に熊谷―妻沼間10.1kmが開通しました。しかし、戦況の悪化と終戦により、妻沼―新小泉間は完成しませんでした。
戦後、経済の高度成長に伴い、妻沼―大泉間の貫通が望まれ、昭和36年には貫通促進期成同盟が発足しましたが、東武鉄道、続いて国鉄も建設困難と判断し、貫通は実現しませんでした。
当初「カメ号」の愛称で親しまれた蒸気機関車が田畑の中をのんびり走っていましたが、昭和29年にディーゼルカーとなり、熊谷―妻沼間の重要な交通機関として活躍しました。
昭和53年2月24日、東武鉄道は、大幅な赤字を理由に東武熊谷線廃止の意向を熊谷市と妻沼町に通知しました。そして、存続のための運動も実らず、昭和58年5月31日に廃止となりました。
詳しくは、「熊谷市デジタルミュージアム」の「東武熊谷線」のコンテンツをご覧ください。
013.jpg福川の鉄橋を渡るキハ2000形気動車
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享保銘波乗弁財天像 [その他]

市内押切の熊谷市指定有形文化財 歴史資料「享保銘波乗弁財天像」を3D化してみました。
この像は、波頭に弁財天が出現する様相を示しており、翻波する波頭に呼応して乱れる瑞雲に、整然と座す姿勢を表しています。八手にはそれぞれ、左手第一手から宝珠、輪宝、弓、財宝を表す蔵の鉤、右手第一手から宝剣、三叉戟、宝棒、縄を持ちます。また、頭上には鳥居や蛇神(宇賀御霊神)を刻み、その上に日輪、月輪を配しており、日・月の持つ恩恵を得て、五穀豊穣を願う村人の願いが込められているものと推測されます。

https://scaniverse.com/scan/wyl6t75n76alp7yk?fbclid=IwAR1wssNh00UPjDvR70WmHXdBdv8YenyWVNfiBgcabtrGBynr6oXMvwBslBA
スクリーンショット 2023-05-29 094327.png
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陣屋橋碑 [その他]

市内泰地区の泰小学校裏の道閑掘に掛かっていた「陣屋橋」の碑を紹介します。
橋名の陣屋の由来は不明です。
道閑掘は、利根川水系の排水路で、元は葛和田で利根川に注いでいましたが、利根川が増水すると排水が困難であったことから、大正5年~6年に行われた福川の改修に伴って、排水先が福川へと変更しました。現在この石碑付近の掘は埋め戻されており、堀があったことを示す唯一の資料となっています。
この道閑掘には、次のような話が伝わっています。
天喜5年(1057)源頼義が安倍貞任の討伐に東北へ赴く際、この地に立ち寄り、上須戸と日向の間にある龍海沼に大蛇が住み着いて村人が困っていることを聞き、島田大五郎道竿(しまだだいごろうみちたけ)に大蛇退治を命じました。しかし大蛇は深い沼に潜んでいてその姿を見ることもできません。そこで道竿は、利根川まで道竿掘を掘って、沼の水を利根川に流しました。やがて沼が干上がって、大蛇が姿を現すと、道竿は弓を射って大蛇を退治しました。源頼義は、大蛇退治を吉事として、大蛇の潜んでいたところから、東・西・北へ矢を放ち、その矢の落ちたところに八幡宮(現長井神社)を祀ったと伝えられています。
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駅弁掛紙19 [その他]

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介19回目。今回は秋山亭の「御寿し」です。
薄赤一色の印刷で、紅白の幕と開花した桜のイラストが描かれています。上中央には「御寿し」「一降り二乗り三発車」、右下の円内には、「名所 熊谷寺西へ八丁 熊谷堤の櫻■木里余に及ぶ 池亭西へ八丁 上忍観音南1里 秩父羽生方面電車接続点」、左下には「お降りの方は お忘れものないやう一駅手前か良御用意を願います」「熊谷驛 秋山」と記されています。
定価は金貮拾銭で、調整印は、(昭和)2.4.13午後六時の印が押されています。枠外下には、鐵道構内営業人組合東京下谷中根岸山水社印行と記されています。
秋山亭御寿し.jpg

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