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熊谷の名工の足跡を辿るー柴又帝釈天帝釈堂ー [熊谷の名工]

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 映画「男はつらいよ」の寅さんでおなじみの柴又帝釈天は、江戸時代初期に開創された日蓮宗の寺院で、正式には経栄山題経寺と号します。
 境内には、入口の二天門をはじめ多くの彫刻作品がありますが、なかでも目を引くのが御本尊が安置されている帝釈堂の彫刻です。
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 彫刻を風雨から保護するため、内殿は総ガラス張りの覆い屋で囲われており、堂周りには回廊がめぐらされ、間近で彫刻を見学することができます。10枚の胴羽目彫刻は法華経を題材としており、10人の彫刻師により大正末期から十数年の歳月をかけてつくられました。
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(常不軽菩薩受難の図 法華経功徳の図 小林直光作)

 この帝釈堂の設計を手掛けたのが、国宝・妻沼聖天山歓喜院聖天堂の棟梁・林兵庫正清の子孫、林家6代目の林門作正啓です。
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(妻沼聖天山歓喜院 仁王門)
 妻沼聖天山の第三の門である仁王門は、約350年前の万治2年(1659)に総欅造りで創建されましたが、寛文10年(1670)の大火により半焼けし、林家3代目・正義によって修復されました。その後、明治24年(1891)の台風の倒木により再び倒壊し、明治27年(1894)に、林家6代目・正啓によって再建されました。正啓は、このほか能護寺鐘楼の再建や妻沼大我井神社の造営、太田・大光院鐘楼の造営、尾島・稲荷神社の造営などを手掛けています。


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