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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.2 曹源寺 [熊谷の名工]

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 秋葉神社から南西に4㎞ほどのところに、曹源寺という開創五百年余の古刹があります。山門を潜り正面の石段を登ると、美しく整備された庭園と荘厳な本堂が現れます。
 曹源寺は、室町時代1433年頃、修行に励んでいた大龍音吉禅師が夢枕に立った僧侶の「葛のつるを伝っていき、その根元に至ったならば、そこに一宇を建立するがよい。必ず栄えるであろう」との声に導かれ、この地に小さな寺を造り草源寺と称したことが始まりとされています。1465年頃、公器賢章禅師を招き、草源寺を整備して萬年山曹源寺と改め開山となりました。その後は、栃尾城主北畠山城守から広大な土地を寺領として寄進され、三代に亘り栃尾城主の菩提寺となりました。1840年、火災により寺の大部分を焼失し、1843年に再建されました。その後、寺の修復や整備を重ね、現在に至っています。
 こちらの本堂には、石川雲蝶と小林源太郎が手掛けたとされる欄間彫刻が今に残ります。堂内の一般公開は通常行っておりませんが、今回は参拝というかたちで特別に堂内にあがらせていただきました。
 本堂に入ると、まず目を引くのが扁額の左右にある2枚の欄間彫刻です。向かって右手が「三国志 唐人馬上の図」、左手は「足利尊氏が鎮西に逃れる図」です。この2枚の欄間彫刻は、雲蝶によって手掛けられたものです。横160㎝、縦63㎝、厚さ22㎝の透かし彫り彫刻で、遠近感のある彫りは非常に見事で、馬に乗った偉人達が今にも飛び出してきそうです。
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「三国志 唐人馬上の図」雲蝶作
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「足利尊氏が鎮西に逃れる図」雲蝶作
 また、その左隣2面、右隣6面にも欄間彫刻が配され、これらは源太郎の作と伝わっています。
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「新田義貞公」源太郎作
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「神功皇后の図」源太郎作
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「天照大神 天岩屋戸の変」源太郎作
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「孔雀と牡丹の図」源太郎作

 彫刻から話は移りますが、こちらの曹源寺には長岡市の文化財に指定されている延命地蔵菩薩が鎮座しています。本堂左手に位置する地蔵堂に半跏の姿で鎮座する延命地蔵菩薩は、寄せ木造りで高さは3.6メートルに及び、その大きさに圧倒されます。江戸時代後期の作ですが保存状態は非常に良く、当時の彩色、金箔が色鮮やかに保たれています。左手に薬壺、右手には錫杖を持ち、穏やかな表情で瞑想にふける様子からは、どこか温かみを感じます。
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 このほか堂内には、閻魔様や十王像など大小様々な像が並び、地震や豪雪などの自然災害に見舞われながらも、大切に保管され、今に受け継がれています。改めて、文化財に込められた人々の思い、また、その思いを文化財を通して継承していくことの大切さを実感する機会となりました。


参考文献
・栃尾観光ガイドクラブ「栃尾の石川雲蝶を訪ねる」
・曹源寺パンフレット


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