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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.5 龍谷寺 [熊谷の名工]

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 龍谷寺は、新潟県南魚沼市大崎に所在する曹洞宗の寺院です。どっしりとした重厚感のある本堂は、宝暦10年(1760)に再建されたものです。現在も本堂の茅葺屋根はそのままに、鉄板で葺いている他、そのほとんどは建築当時のままで、豪雪地帯における代表的な禅宗様式を伝える貴重なお堂です。
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 本堂の右手には、古代インドの寺院建築を彷彿とさせる観音堂が構え、堂内には戦後日本の復興を祈念して、ハワイの日系移民の浄財によって建立された十一面観音像がお奉りされています。本堂の左奥にある妙光堂には、釈迦如来や十六羅漢像など百二十余体の仏像が安置され、厳かな雰囲気が漂います。
 観音堂左手の渡り廊下を進み、本堂に入ると透かし彫りの欄間彫刻が奥まで続いています。手前から獏、麒麟、唐獅子牡丹が2面。さらに室内の欄間彫刻には2面にわたって得誠和尚の行履を伝える様子が表現されています。その欄間の裏面には、葡萄の木に朝顔の蔦が絡み合い、傍らで蝶が舞う落ち着いた品のある彫刻が彫られています。これらの彫刻は、雲蝶の手によるものです。堂内は撮影禁止のため、ここではその様子をご紹介することはできませんが、欄間の枠から飛び出す勢いのある彫刻や余白を上品に活かした構図から、雲蝶の彫刻技術と芸術性の高さを感じとることができます。
 また、本堂の奥2面の欄間には鳳凰と唐獅子牡丹の彫刻が施されており、これらは源太郎の最後の作と伝えられています。源太郎は、この彫刻を手掛けた後、文久元年(1861)初冬、上州玉村(現群馬県玉村町)において63歳で亡くなりました。雲蝶が手掛けた「葡萄と朝顔」の欄間彫刻には、壬戌(文久2年)晩春の雲蝶の署名が残されています。雲蝶は当時49歳。源太郎と過ごした在りし日に思いを馳せながら、雲蝶はこの彫刻の制作に挑んだのかもしれません。

参考文献
・木原 尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』
・八海山龍谷寺パンフレット
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