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きかは便郵126 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介126回目。今回は「埼玉県立熊谷高等女学校運動会」です。
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この写真は、大正末期から昭和初期頃の埼玉県立熊谷高等女学校の運動会の様子を写したものです。
熊谷高等女学校は、明治44年(1911)県内2番目の県立女学校として開校したもので、昭和23年(1950)に埼玉県立熊谷女子高等学校と改称しています。
日本で運動会が開催されたのは、明治7年(1874)、東京築地にあった東京海軍兵学寮で開催されたのが最初と言われています。
当時は「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的とし、運動会とは言わず、競闘遊戯(きそいあそび)と呼ばれていました。
明治末年より運動会として地域・学校において広く普及するようになりました。
写真には、大勢の観客が見守る中、現在の運動会では見ることのない、太刀と薙刀による「太刀薙刀合わせ」、砂の入った袋を担いで走る「砂嚢競争」の様子が写されています。服装は、和服にたすき掛け、袴に長足袋で、動きやすい服装となっています。
この他、熊谷高等女学校では、現在でも行われている「玉入れ」「クラスリレー」「綱引き」「体操」「障害物競争」などの競技も行われていました。
当時の女学校における運動会の様子を伝える貴重な写真です。

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