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熊谷の昔ばなし1-1 [動画]

熊谷の昔話の中から、御正地区の「きつねに化かされた話」、成沢地区の「おとうか」、玉井地区の「狐の嫁入り」を紹介します。
語り手は「熊谷の昔ばなし」を語る会です。

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熊谷市名勝「星溪園」の雪景色 [その他]

 2月10日(金)、埼玉県では広い範囲で大雪となりました。熊谷市の名勝「星溪園」も雪化粧し、いつもとひと味違う風景を見ることができました。
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きかは便郵133 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介133回目。今回は「埼玉県立青年学校教員養成所」です。
この写真は、昭和17年(1942)11月に「埼玉県立熊谷農学校創立四十周年埼玉県立青年学校教員養成所創立二十周年記念」として発行された、5枚組絵葉書の1枚です。
絵葉書には、市内大原地内に所在した埼玉県立青年学校教員養成所の木造平屋瓦葺校舎と、明徳寮と名付けられた寄宿舎と吉田所長(熊谷農学校長兼務)が写されています。
この養成所は、大正11年(1922)埼玉県立熊谷農学校に埼玉県実業補修学校教員養成所として併設されました。青年学校の教員となる者を養成するために設置されたもので、修業年限は1年で、2年以上実務経験のある者、師範学校卒業者、教員免許状所持者が対象でした。
昭和7年(1932)修業年限が2年となり、昭和10年(1935)に埼玉県立青年学校教員養成所と改称され、昭和19年(1944)には官立移管され、埼玉青年師範学校となり、修業年限3年で、当初は男子部のみ設置されました。
養成所には、所長、教諭、助教諭、庶務に従事する書記、寄宿舎の業務を行う舎監が配属されていました。
その後、昭和24年(1949)深谷市原郷(深谷商業高校北)の旧陸軍施設跡(旧東京第二陸軍造兵廠深谷製造所跡)に移転し、昭和26年(1951)、学制改革に基づく新制埼玉大学教育学部の母体の一つとなり廃止されました。
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駅弁掛紙15 [その他]

熊谷駅で売られていた駅弁の掛紙の紹介15回目。今回は秋山亭の「特撰 御寿司」です。
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千社札風の枠内に「御寿司」、背景は薄緑色に、円形の竹(竹丸)と梅の花が描かれています。下部には「高崎線熊谷駅 秋山亭本店 秋山信子 埼玉県熊谷市大字熊谷175 電話 熊谷㉑0028 4611番 ¥100」と印刷されています。
秋山信子は、昭和22年に2代目国次が亡くなったことを受け、秋山亭3代目を継承しています。
右端には、「御注意 あきがらはまとめて屑物入れにお捨て下さい」と記載されており、昭和30年代までの、「車窓外に投げないで・・・」との注意書きから変化しています。
調整印が押されていないため、製造年は不明ですが、昭和40年代のものと推測されます。

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野口雪江2 [近世]

野口雪江が詠んだ句を紹介します。笑牛(須賀市左衛門・長栄)、桃路、蘆帆等とコラボしています。

〇「林間に 酒の寒さや 若楓」 
宝暦7年『俳諧川柳』:『建部綾足全集』第一巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「鶯の 息あたためる 日のさして」 雪叩
        「首途の酒を 遥々と酔」 桃路
〇「本服は 涼しい月に こちらむき」 雪叩
     「涼しい義理も 廓では有ル」 笑牛 
宝暦8年『俳諧田家の春』:『建部綾足全集』第一巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「京を見て 紺屋の助言 おかしがり」 雪叩
     「汚す扇に 名哥覚へる」 執筆  
宝暦9年『春興帖』:『建部綾足全集』第一巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「水鳥の 青きを踏て 柳哉」  蘆帆
     「霞は横に うごく遠山」 雪叩  
〇「唇を うごかすい花に 使はるる」 笑牛
      「交はる蝶に 蜂の和らぎ」 雪叩 
宝暦10年『俳諧 絵の山陰』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「涼しさを 簾のうちへ 汲ンで行 土用に干せば 己も大勢」 
〇「先陣は 袖をかざして 寺子供 殿さまを見る 穴をほしがる」
〇「泉水が 出来て俯く 月に成リ 入院も 娵るやうな 尼御所」
〇「金屏を 昼寝が肥て うるさがり 什物なれど 若衆新らし」
〇「此次は 東海道と 出直さん 峯から見れば 寸馬豆人」 
宝暦10年『俳諧連理香』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「林菁入も 髪ねぢて居る 寒さ哉」
宝暦13年『俳諧 香爐峯』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「折たがる 人へも来たり 花の春」 
〇「鞘あての 出船におほき しぐれ哉」
〇「春(コメ)米夫(ツキ)の 輪回を逃て 十夜哉」
〇「水仙や 靉靆(メガネ)で見ても 発(サイ)たもの」
〇「さはるもの 皆狗骨也 としのくれ」 
宝暦13年『古今俳諧明題集』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「異見者も 窓は叱らず うめのはな」
宝暦14年『片歌あさふすま』:『建部綾足全集』第三巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「我宿を 梅ゆ問来て 喚起鳥鳴けり」 
明和2年『春興 かすみをとこ』:『建部綾足全集』第三巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「日にちたび 行逢ひながら 猫のこひ」 
明和3年『春興帖』:『建部綾足全集』第三巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年

これらの句は、涼袋系俳書『建部綾足全集』に掲載されており、熊谷図書館に所蔵されていますので、興味のある方はご覧ください。
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野口雪江 [近世]

建部涼袋門下で、笑牛や医家の三浦無窮と親交のあった書家で俳人の野口雪江(1731-1799)について紹介します。
享保17年12月7日熊谷(母方の下奈良の栗原家)に生まれ、名は秀航。初号雪叩、別号月樵。諱は實鼎(ほうてい)。熊谷惣鎮守愛宕神社祀官、修験水源山大善院々主。若いころより学問にはげみ、17歳で肥塚の東有隣から経史を学び、18歳の頃江戸に出て、当時名声のあった書家の関思恭に入門し、書道を研鑽しました。草書を得意とし、関思恭門下の書家として、寛政の三名筆といわれました。
俳諧は、建部涼袋、高桑闌更、加舎白雄等に師事し、涼袋系の俳書に多く入集しています。寛政11年(1799)68歳で没しています。
雪江の墓誌には、三浦無窮撰による「文質具(つぶさ)に備わり、知徳両(ふた)つながら修め、花あり実ありて、功業朽ちざらん」と刻まれています。
下の写真は、雪江書の浅草浅草寺本堂外陣の両聯「仏身円満無背相」「十方来人皆対面」と、埼玉県日高市高麗神社第一ノ鳥居扁額「大宮大明神」です。浅草寺の両聯は、寛政9年9月18日に、江戸小舟町佐々木与兵衛の斡旋で、熊谷宿の竹井新右衛門、石川清左衛門、石川藤四郎が世話人となり、雪江の俳友・門人の須賀市左衛門(笑牛)、長島藤右衛門、村岡与一右衛門、板倉長兵衛、大森嘉兵衛、代忠八が発願して奉納したものです。
nogutisekou-4.jpgnogutisekou-4-1.jpg   野口雪江額2.jpg
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笑牛2 [近世]

熊谷宿の俳人笑牛の詠んだ句を紹介します。師の涼袋や熊谷の俳人雪叩(雪江)、桃路、桂露等とコラボしています。
〇「あつい日の ようかたづくや 雲の峰」
宝暦7年『俳諧川柳』:『建部綾足全集』第一巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「うつむいた 仕事も高し 餝藁(かざりわら)」 涼袋
     「若ふ摘ふと 菜畑へ出る」 笑牛
〇「本服は 涼しい月に こちらむき」 雪叩
     「涼しい義理も 廓では有ル」 牛笑
〇「舞かかる 雪はくさめに 吹もどり」 桃路
     「左リ一字が 読てちかみち」 牛笑 
宝暦8年『俳諧田家の春』:『建部綾足全集』第一巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「さつぱりと 子の無い貧が きれい也」 笑牛
     「余所の流れで 家鴨育てる」 桂露  
宝暦9年『春興帖』:『建部綾足全集』第一巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「唇を うごかすい花に 使はるる」 笑牛
     「交はる蝶に 蜂の和らぎ」 雪叩 
宝暦10年『俳諧 絵の山陰』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「跡さらぬ 人も呵らず 梅の花」 笑牛 宝
暦11年『俳諧 はしのな』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「けんどんの 箱に庵の ぐわたひしと 碁のいさかひを 撰分て居」
〇「十団子 鼠の引ぬ 置所 仮名で広がる 留主の帳面」 
宝暦10年『俳諧連理香』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「蓬莱の 屑あたためて 年の内」 
宝暦13年『俳諧 香爐峯』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「猟人の 火縄くはへて しぐれ哉」 
〇「鐘(ツリガネ)の 一口吐て 落葉哉」 
宝暦13年『古今俳諧明題集』:『建部綾足全集』第二巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「風歇(ヤム)で 心の直る やなぎかな」 
宝暦14年『片歌あさふすま』:『建部綾足全集』第三巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「粘鳥士の 裏からはいる 柳かな」 
明和2年『春興 かすみをとこ』『建部綾足全集』第三巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年
〇「からすほど さがしあるいて なづ菜哉」 
明和3年『春興帖』『建部綾足全集』第三巻:建部綾足著作刊行会:昭和61年

涼袋系俳書『建部綾足全集』に掲載されているもので、熊谷図書館に所蔵されていますので、興味のある方はご覧ください。
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