三ヶ尻八幡神社本殿6 [建造物]
三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介6回目。今回は、本殿扁額(へんがく)です。
慶應4年(1868)に、太々神楽講中により奉納されたもので。「太々神楽講中」「玉磨殿」「■斎正翁書」、下部には13名の奉納者名が記されています。
額側縁には、昇り龍・下り龍の彫刻が施されています。玉磨殿の意味は不明ですが、『新編熊谷風土記稿』1978日下部朝一郎には、八幡神社は「古くは玉磨八幡宮と呼ばれていた」と記されており、八幡神社と何らかの関係がある言葉と推測されます。
*扁額(へんがく):建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額。
*太々神楽(だいだいかぐら):神社の祭礼の際、神様に捧げる歌や舞。五穀豊穣、厄難消除、幸運招福などの願いを込めた舞を行う。
慶應4年(1868)に、太々神楽講中により奉納されたもので。「太々神楽講中」「玉磨殿」「■斎正翁書」、下部には13名の奉納者名が記されています。
額側縁には、昇り龍・下り龍の彫刻が施されています。玉磨殿の意味は不明ですが、『新編熊谷風土記稿』1978日下部朝一郎には、八幡神社は「古くは玉磨八幡宮と呼ばれていた」と記されており、八幡神社と何らかの関係がある言葉と推測されます。
*扁額(へんがく):建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額。
*太々神楽(だいだいかぐら):神社の祭礼の際、神様に捧げる歌や舞。五穀豊穣、厄難消除、幸運招福などの願いを込めた舞を行う。
三ヶ尻八幡神社本殿5 [建造物]
三ヶ尻八幡神社本殿4 [建造物]
三ヶ尻八幡神社本殿3 [建造物]
野原古墳出土埴輪の調査 [古墳時代]
昨日から國學院大學関係者が、野原古墳出土埴輪の調査のために来所しています。
野原古墳は、全長40m程の前方後円墳で、昭和5年に畑の開墾中に出土した「踊る埴輪」が有名です。現在、その時に出土した他の埴輪等とともに、東京国立博物館に収蔵されています。また、国学院大学博物館にも、踊る埴輪とともに出土したとされる武人埴輪1体が収蔵されています。
その後、昭和37年に発掘調査が行われ、埴輪等が出土してますが、正式な報告書は刊行されていなく、出土遺物は各機関が収蔵しており、全容は掴みきれていないのが現状です。
今回、国学院大学博物館で収蔵する武人埴輪の修復を契機として、各機関で所蔵する埴輪の調査を行うこととなり、当センターにも調査に訪れたということです。
調査では、写真撮影のほか3Dスキャナーによる計測も行い、興味深い新たな知見が得られたようです。今後、國學院大學より調査成果の発表がなされると思いますが、楽しみです。
野原古墳は、全長40m程の前方後円墳で、昭和5年に畑の開墾中に出土した「踊る埴輪」が有名です。現在、その時に出土した他の埴輪等とともに、東京国立博物館に収蔵されています。また、国学院大学博物館にも、踊る埴輪とともに出土したとされる武人埴輪1体が収蔵されています。
その後、昭和37年に発掘調査が行われ、埴輪等が出土してますが、正式な報告書は刊行されていなく、出土遺物は各機関が収蔵しており、全容は掴みきれていないのが現状です。
今回、国学院大学博物館で収蔵する武人埴輪の修復を契機として、各機関で所蔵する埴輪の調査を行うこととなり、当センターにも調査に訪れたということです。
調査では、写真撮影のほか3Dスキャナーによる計測も行い、興味深い新たな知見が得られたようです。今後、國學院大學より調査成果の発表がなされると思いますが、楽しみです。