SSブログ

三ヶ尻八幡神社本殿6 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介6回目。今回は、本殿扁額(へんがく)です。
慶應4年(1868)に、太々神楽講中により奉納されたもので。「太々神楽講中」「玉磨殿」「■斎正翁書」、下部には13名の奉納者名が記されています。
額側縁には、昇り龍・下り龍の彫刻が施されています。玉磨殿の意味は不明ですが、『新編熊谷風土記稿』1978日下部朝一郎には、八幡神社は「古くは玉磨八幡宮と呼ばれていた」と記されており、八幡神社と何らかの関係がある言葉と推測されます。
*扁額(へんがく):建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額。
*太々神楽(だいだいかぐら):神社の祭礼の際、神様に捧げる歌や舞。五穀豊穣、厄難消除、幸運招福などの願いを込めた舞を行う。
奉納額3-1.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

三ヶ尻八幡神社本殿5 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介5回目。今回は、本殿正面です。
扉は、華麗な桟唐戸(框(かまち)のなかに桟(さん)を組んで、その間に薄い鏡板などをはめた扉)で、鏡板の全面に宝づくしの彫刻を施しています。上面には、義家奉納の旗と軍配、その下には、鎖鎌、鍵、打出の小槌、七宝袋等多彩な彫刻が施されています。
扉の両側は、方建(垂直な桟)を挟んで、柱までの間を小脇板とし、鶴の彫刻を施しています。
柱は円柱で、雲文に円文ちらしの地彫を施しています。
本殿扉2-1.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

三ヶ尻八幡神社本殿4 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介4回目。今回は、本殿西側面の胴羽目彫刻です。
布袋と恵比寿が、碁盤を囲んで碁を楽しんでいます。。左手には毘沙門天が座り、左手に書物を広げて見つめています。中央の童子が右手を挙げ、左手に本来毘沙門天が持つ宝塔を持っています。宝塔と書物を交換し、童子は難しそうな表情を浮かべる毘沙門天を見つめているようです。
背景の植物は、松。
本殿側面彫刻2(西).jpg


nice!(0)  コメント(0) 

三ヶ尻八幡神社本殿3 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介3回目。今回は、本殿北側面の胴羽目彫刻です。
大黒天と福禄寿の琴碁書画です。
右下に大黒天。大きな七宝袋と打出の小槌が置かれています。脇には硯と筆が置かれており、手にハケのようなものを持ち紙に何か書いています。中央には寿老人が机に片ひじをついて、童子が持つ書を眺めています。大黒天が揮毫した書画を見て、批評でもしているのかもしれません。大黒天が聞き耳をたてているようです。背景の植物は、上部が桐で、下部が椿。
本殿側面彫刻3.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

野原古墳出土埴輪の調査 [古墳時代]

昨日から國學院大學関係者が、野原古墳出土埴輪の調査のために来所しています。
野原古墳は、全長40m程の前方後円墳で、昭和5年に畑の開墾中に出土した「踊る埴輪」が有名です。現在、その時に出土した他の埴輪等とともに、東京国立博物館に収蔵されています。また、国学院大学博物館にも、踊る埴輪とともに出土したとされる武人埴輪1体が収蔵されています。
その後、昭和37年に発掘調査が行われ、埴輪等が出土してますが、正式な報告書は刊行されていなく、出土遺物は各機関が収蔵しており、全容は掴みきれていないのが現状です。
今回、国学院大学博物館で収蔵する武人埴輪の修復を契機として、各機関で所蔵する埴輪の調査を行うこととなり、当センターにも調査に訪れたということです。
調査では、写真撮影のほか3Dスキャナーによる計測も行い、興味深い新たな知見が得られたようです。今後、國學院大學より調査成果の発表がなされると思いますが、楽しみです。
9AB438F0-D94A-44DD-BF83-6890BD013067.JPGIMG_0329.jpeg
nice!(0)  コメント(0)