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陶製手榴弾 [戦跡]

現在、千代遺跡群(奈良・平安時代編)の整理作業を進めていますが、姥ヶ沢遺跡の土壙から出土した陶製品片を紹介します。
この資料は、陶製の手榴弾で、第二次世界大戦末期に日本海軍で製造された手榴弾です。通称は四式陶製手榴弾です。終戦末期の金属資源の不足に対応し、日本海軍が、それまで鉄で製造されていた手榴弾の材質に陶器を使用し製造したものです。
開発は名古屋の陶器会社が最初であるとされ、その後、有田や波佐見といった瀬戸物生産地で量産が行われるようになりました。各地で生産された陶製手榴弾は、火薬や信管など起爆装置を充填するため、埼玉県の陸軍造兵廠川越製造所とその下請け工場である浅野カーリット埼玉工場に運ばれました。
完成品は硫黄島の戦いや沖縄戦に投入され、硫黄島や沖縄で不発弾が採集されています。
終戦時、浅野カーリット埼玉工場には600トンの未完成品があり、今でも川越市を流れるびん沼川の川原には、廃棄された大量の陶製手榴弾の陶片を見ることができます。元従業員によると、破砕した手榴弾を自宅の庭に撒いたり、庭の花壇に流用したりしたといわれています。(参照:wikipedia「四式陶製手榴弾」)
この陶製手榴弾が、なぜ姥ヶ沢遺跡から出土したのかはわかりませんが、戦後従業員により持ち出されて二次利用された後、廃棄されたものかも知れません。この破片は、当時の日本の窮状と混乱を伝える資料です。
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