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大久保喜一作の肖像画1 [近代]

大久保喜一(1885-1948)による吉田久平の肖像画を紹介します。左下に「K.Okubo」とサインが記されています。
写真の吉田久平は、明治38年10月から大正2年12月まで第5代小原村(現熊谷市)の村長を勤めました。

喜一は、明治18年に児玉郡金屋村(現本庄市)の中林喜三郎の五男として生まれ、14歳の時に小鹿野町の大久保巳之作の養子となります。巳之作は、御正村(現熊谷市)押切の生まれで、大久保家へ養子に入り、県議会議員を勤めるなど小鹿野町の発展に尽くした人物です。喜一は、東京美術学校西洋画科に入学し、黒田清輝などの指導を受け、卒業後は図画教師として生涯を美術教育と画業にささげました。熊谷中学と熊谷農学校に奉職していたので、江南地域の学生も多かったようで、父の出生地ゆかりの小原村から依頼され、村長の肖像を描いたものと推測されます。
喜一のサインのある肖像画は、小原村村長の、第2代飯島邦政:明治24年~明治27年)、第3代(小久保壽三:明治27年~明治36年)、第5代(吉田久平:明治38年~大正2年)、第6代(小林瀧松:大正2年~大正6年)までの4枚が残されています。5代26年間の期間ですが、これらの肖像画は、画布やサイン等からほぼ同時期に描かれたものと推測されます。おそらく、昭和17年に熊谷中学校を退職後、昭和23年に亡くなるまでの6年の間に描いたものと推測されます。
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