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新潟の旅-熊谷の名工の足跡を辿る- No.7 天昌寺 [熊谷の名工]

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 塩沢の牧之(ぼくし)通りから北西に車で5分ほどのところにある天昌寺は、越後の文人・鈴木牧之が著した『北越雪譜』初編中之巻「寺のなだれ」の舞台にもなっている曹洞宗の古刹です。平安時代中期に、恵心僧都源信により創建され、寛元年間(1243~)には、北条時頼により、越後観音礼所に定められ、十二番霊場として益々観音信仰が広まったといわれています。延徳2年(1490)堂守が没し無住となり、堂宇存続のため雲洞庵から住職を請し復興しました。明暦3年(1657)堂宇が焼失し、現在の本堂は万治2年(1659)に再建されたものです。銅板葺き、入母屋造りで桁行は10間、入口の両脇には仁王像が構えます。
 本堂に入ると正面横並びに10枚の欄間彫刻がはめ込まれています。このうちの7枚を小林源太郎が手掛けました。左手から「子引き獅子」、「唐獅子牡丹」、「盧教仙人」、「大真王夫人と竜」、「祝鶏老翁」、「静玄夫人と麒麟」、「梅福仙人と鳳凰」。
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「子引き獅子」
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「唐獅子牡丹」
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「盧教仙人」
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「大真王夫人と竜」
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「祝鶏老翁」
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「静玄夫人と麒麟」
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「梅福仙人と鳳凰」

 厚さ30㎝のケヤキ板に中国の古事に由来する狩野派の絵を浮き彫りにした作品です。素木の彫刻に所々、赤、黒、緑の彩色が施され、奥行きのある彫りは躍動感に溢れています。「子引き獅子」の手鞠や「祝鶏老翁」の鳥籠には、部材を籠状に彫り抜いて内部まで立体的に表現する「籠彫り」という彫刻技法が施されており、非常に精緻で、鳥籠に至っては籠のなかの鶏の様子まで再現されています。彫刻の裏面には、嘉永7年(1854)の墨書銘が残されており、源太郎54歳の作とされます。源太郎は、この後、榛名神社(群馬県高崎市)の双龍門の彫刻を完工し、再び越後に戻って雲蝶との共作を残しています。源太郎が手掛けた天昌寺本堂の7枚の欄間彫刻は、平成4年に塩沢町の文化財に指定され、現在は南魚沼市指定文化財となっています。
 平成16年に発生した新潟県中越地震で、この地域は震度5強を観測しています。天昌寺では、この地震により、一部の欄間彫刻が落下し、静玄夫人の首が折れる等の破損の被害を受けたといいます。彫刻はその後修復され、源太郎の功績は今日まで引き継がれています。



参考文献
・木原 尚2010 『新装版 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて』
・飯盛山天昌寺パンフレット

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