木曽義仲生誕の地 その1 [紀行]
木曽義仲は、平安時代末期の源氏一族の武将で、源平合戦のひとつである倶利伽羅峠の戦いでは大将として活躍し平氏を圧倒したことでも有名です。義仲の父・源義賢は武蔵国大蔵(現在の埼玉県比企郡嵐山町)に館を構えており、義賢の妻・小枝御前はこの大蔵館にほど近い鎌形の屋敷に住まい、久寿元年(1154)に駒王丸(後の木曽義仲)を出産しました。
嵐山町の鎌形八幡神社には、義仲の産湯として使われたとされる清水があり、現在でも神社の御手洗として、清涼な水が湧き出しています。
鎌形八幡神社は、平安時代初期に坂上田村麻呂によって建てられたと伝わり、その後は源氏の氏神として仰がれたといいます。
境内正面の階段を上がると本殿があります。本殿は、拝殿を兼ねた覆屋のなかに収められており、見ることはできませんが、建立は寛延2年(1794)で簡素な一間社流造りだとされます。
嵐山町の鎌形八幡神社には、義仲の産湯として使われたとされる清水があり、現在でも神社の御手洗として、清涼な水が湧き出しています。
鎌形八幡神社は、平安時代初期に坂上田村麻呂によって建てられたと伝わり、その後は源氏の氏神として仰がれたといいます。
境内正面の階段を上がると本殿があります。本殿は、拝殿を兼ねた覆屋のなかに収められており、見ることはできませんが、建立は寛延2年(1794)で簡素な一間社流造りだとされます。