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星溪園2 [建造物]

熊谷市指定記念物名勝「星溪園」ので紹介。今回は、松風庵です。
松風庵は、星溪寮と積翠閣との間に位置し、渡り廊下で結ばれていました。木造瓦葺寄棟の建物で、明治時代に建てられたと言われています。床面積42.62㎡で、廻廊とこれに取り囲まれた和室6帖の二室からなる庵室です。南北に連続した2室は襖で仕切られ、必要な時は12帖の大広間として使用しました。
また室内には、湛如翁書「松風庵」の木彫額が掲げられていました。
109_星溪園06.jpg南から
110_星溪園07.jpg東から
P1010648.JPG現在の松風庵
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星溪園1 [建造物]

熊谷市指定記念物名勝「星溪園」は、竹井澹如が元和年間からある池を中心に名石、石造物を配置して造った名園です。昭和25年に熊谷市が譲り受け、昭和29年に市の名勝として指定しました。 平成2年から4年にかけて園内の整備が行われ、老朽化の見られた建物は、数奇屋感覚を取り入れた上で復元されました。
復元以前の写真がありましたので紹介します。
今回は、星溪寮です。星溪寮は、木造瓦葺切妻造の建物です。床面積103.74㎡で、慶応年間から明治の初め頃にかけて、他所から移築された最も古い中心的な建物です。玄関入口には湛如翁書「晴好雨奇別乾坤」の木彫額、部屋には藤森大雅書「清慎勤」、古賀精里書「閑情小趣」の扁額が掲げられていました。主室は、8帖の和室、次の間の4帖の和室と3帖の和室からなり、建物の南側に接続して茶室が設置されていました。写真では、亜鉛引鉄板葺きの寄棟建物が茶室と思われます。
〈参考〉
『熊谷市指定文化財 星溪園建物概要報告書』昭和63年 (社)埼玉建築士会大里支部 星溪園建物調査委員会
105_星溪園02.jpg
106_星溪園03.jpg
P1010621.JPG現在の星溪寮
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三ヶ尻八幡神社本殿6 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介6回目。今回は、本殿扁額(へんがく)です。
慶應4年(1868)に、太々神楽講中により奉納されたもので。「太々神楽講中」「玉磨殿」「■斎正翁書」、下部には13名の奉納者名が記されています。
額側縁には、昇り龍・下り龍の彫刻が施されています。玉磨殿の意味は不明ですが、『新編熊谷風土記稿』1978日下部朝一郎には、八幡神社は「古くは玉磨八幡宮と呼ばれていた」と記されており、八幡神社と何らかの関係がある言葉と推測されます。
*扁額(へんがく):建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額。
*太々神楽(だいだいかぐら):神社の祭礼の際、神様に捧げる歌や舞。五穀豊穣、厄難消除、幸運招福などの願いを込めた舞を行う。
奉納額3-1.jpg
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三ヶ尻八幡神社本殿5 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介5回目。今回は、本殿正面です。
扉は、華麗な桟唐戸(框(かまち)のなかに桟(さん)を組んで、その間に薄い鏡板などをはめた扉)で、鏡板の全面に宝づくしの彫刻を施しています。上面には、義家奉納の旗と軍配、その下には、鎖鎌、鍵、打出の小槌、七宝袋等多彩な彫刻が施されています。
扉の両側は、方建(垂直な桟)を挟んで、柱までの間を小脇板とし、鶴の彫刻を施しています。
柱は円柱で、雲文に円文ちらしの地彫を施しています。
本殿扉2-1.jpg
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三ヶ尻八幡神社本殿4 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介4回目。今回は、本殿西側面の胴羽目彫刻です。
布袋と恵比寿が、碁盤を囲んで碁を楽しんでいます。。左手には毘沙門天が座り、左手に書物を広げて見つめています。中央の童子が右手を挙げ、左手に本来毘沙門天が持つ宝塔を持っています。宝塔と書物を交換し、童子は難しそうな表情を浮かべる毘沙門天を見つめているようです。
背景の植物は、松。
本殿側面彫刻2(西).jpg


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三ヶ尻八幡神社本殿3 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介3回目。今回は、本殿北側面の胴羽目彫刻です。
大黒天と福禄寿の琴碁書画です。
右下に大黒天。大きな七宝袋と打出の小槌が置かれています。脇には硯と筆が置かれており、手にハケのようなものを持ち紙に何か書いています。中央には寿老人が机に片ひじをついて、童子が持つ書を眺めています。大黒天が揮毫した書画を見て、批評でもしているのかもしれません。大黒天が聞き耳をたてているようです。背景の植物は、上部が桐で、下部が椿。
本殿側面彫刻3.jpg
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三ヶ尻八幡神社本殿2 [建造物]

三ヶ尻八幡神社本殿の写真紹介2回目。今回は、本殿南側面の胴羽目彫刻です。
八幡神社の胴羽目彫刻は、七福神による「琴碁書画(きんごしょが)」の場面を配置しているのが特徴です。
右側の弁財天が、机の上に置いた琴を弾き、中央の椅子に座る女性がその様子を見つめています。左側の女性は、お盆に桃を持っており、西王母かもしれません。弁財天は、一般的には琵琶を持ちますが、「琴棋書画」なので、琴を弾いています。背面の植物は、琵琶を弾かない代わりか枇杷が配されています。
*琴碁書画:琴を弾じ、碁を囲み、書(書籍後に書道)画をよくするこで、古代東アジアの文人・士大夫・官僚が嗜むべきとされた芸のこと。
本殿壁面彫刻.jpg

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三ヶ尻八幡神社本殿1 [建造物]

市内三ヶ尻の八幡神社の創建は、天喜4年(1056)に将軍源頼義・義家父子が奥州出陣の際、当地において戦勝を祈願したことに始まると伝えられています。
天保2年(1831)、三河田原藩の渡辺崋山が三ヶ尻に滞在した際の様子が記された『訪瓺録』には、「廟の四周皆彫鏤金碧」と総彫刻極彩色の本殿の様子が記されています。
棟札には、明和五戌子年(1768)、大工内田清八と記されていました。内田清八は、生没年不詳の三ヶ尻村出身の宮大工で、妻沼聖天堂再建の大工棟梁林兵庫の門弟で、市内上新田諏訪神社、桐生市青蓮寺の他、延享四年(1747)市内三ヶ尻龍泉寺の建築に関わっています。
八幡神社は、昭和63年、本殿の精巧さを極めた彫刻は他に類例がないとされ、熊谷市の文化財に指定されました。
平成4年には覆殿改築に着手しましたが、同年10月20日原因不明の火災に遭い、本殿以下全ての社殿が焼失してしまいました。
この度、八幡神社のご好意により、その本殿の写真の提供を受けましたので紹介します。
写真は、鎮守の森にたたずむ本殿を、南東から撮影したものです。一間社流造で、屋根は銅板葺き。正面に軒唐破風及び千鳥破風を付し、周囲全面に精緻な彫刻が施されています。厳かな雰囲気の伝わってくる写真です。
本殿正面及び側面2.jpg
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埼玉県指定有形文化財 「諏訪神社本殿」保存修理事業終了記念 特別公開 [建造物]

 令和4年5月14日(土)、市内上新田にて埼玉県指定有形文化財「諏訪神社本殿」の特別公開が行われました。当日は、雨の予報もあり天候が心配されましたが、開始時間には雨もあがり、日中は日差しが降り注ぐ暖かな1日となりました。
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 午前11時からの修理報告会には、非常に多くの方にお越しいただき、1日で450名のご来場がありました。
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 本殿の覆い屋の周りには階段が設置され、訪れた見学者はヘルメットを着用して、葺替えが完了したばかりの檜皮葺の様子を興味深く見学していました。
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諏訪神社本殿保存修理事業 進捗状況 [建造物]

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 本年1月下旬から、市内上新田に所在する諏訪神社市内上新田に所在する諏訪神社本殿の檜皮葺屋根の保存修理工事がはじまりました。
 檜皮の葺き替え作業が先週終了し、現地では屋根頂部の棟や鬼板、千木、鰹木の取り付け作業が行われていました。
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 明日からは、新設した垂木などの塗装作業が行われる予定です。
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